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村瀬学「食べないと生きられないのに 宮沢賢治の潔白性を問う」思想の科学、思想の科学社、912月、6064

 他の有機物(他の生き物)を自分のからだに取り込んで=食べて生きるという筋道を肯定しなかった賢治の「潔白性」を、「清潔」感を強調する現代との対比の中で論じる。「潔白(イノセンス)」とは排他主義と紙一重のものであり、賢治の性≠フ拒否もある意味での排他主義ではなかったか。自分と他者との「差異(ちがい)」を感じるがゆえに、みんなと「共生」できる世界のイメージを追求した賢治が、一方自らを「修羅」()と規定したのは、そうしなければ、生き物を食づて生きる目分のイメージが現実性を帯びなかったからで、それゆえ「修羅」()と「人間」()の果てしない往復運動が「宮沢賢治」として残った、と述べる。(安藤)