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奥田弘「宮沢賢治研究周辺K」銅鑼、第50号、校倉書房、915月、8589

 「20「閑居録」のこと」、「21「文語詩篇」ノート「寒キ宿」のこと」の二項より成る。  「20」は、「盛岡中学校校友会雑誌」第十五号(432)に掲載された沢田壮吉の寄稿文=「閑居録」の中から、沢田が自ら通う盛岡高等農林学校を後輩に推薦、案内している箇所を取り上げている。明治四十五年九月には、同校校長佐藤義長が盛岡中学で講話を行い(四年生の賢治はこれを聞いている)、この講話の大要は同雑誌二〇号(大元、12)に掲載されているという。

 「21」は、「賢治研究」五〇号(平元・9)誌上で考察した大正十四年、九戸郡行き=∞異途の旅≠ノついての続稿にあたるもの。「文語詩篇」ノート・三一ぺージの紙葉に記された「寒キ宿」が、下安家の小野旅館の前身であると推定、同旅館の歴史についてもふれている。なお、付記として"異途の旅"の道程について、これまでの行った調査を報告している。(安藤)

作品索引:「文語詩篇」ノート