第79号 2005.09.03
宮沢賢治学会イーハトーブセンター事務局発行
9月となりました。花巻もまだまだ暑いですが、やはり秋の気配。今月も賢治祭をはじめさまざまな催しが予定されております。今回同封されております通知と情報チラシは、次の通りですので、どうぞご確認ください。
1 事務局だより79号
2 2005年度総会招集について(通知)
3 第16回定期大会プログラムのお知らせ
4 第3回宮沢賢治国際研究大会 研究発表者募集
5 宮沢賢治イーハトーブ館だより
6 後援イベント クラムボンの会25周年記念 林 洋子 シタール弾き語り
今回もまた、本年度の会費(毎年4月〜翌年3月)につきまして、前年度分 滞納の方、及び今年度未納の方に、事務局だよりとともに郵便振替の用紙を同 封いたしました(納入済みの方には同封されておりません)ので、納入につい てよろしくお願いいたします。
同時に会費の受納は随時受け付けており、イーハトーブ館への来館のおり、 郵便局、銀行へお立ち寄りの際、収めてくださっても結構です。
郵便振替口座 02330=7=26637
岩手銀行花巻支店普通口座 0480908
名義 宮沢賢治学会イーハトーブセンター
会費年額 一般・3000円 学生・1500円
賛助会員・個人 一年一口1万円(何口でも可)
賛助会員・団体 一年一口3万円(何口でも可)
小・中学生無料
前回事務局だより(7・22)以降の理事会・委員会ごとの会務をお知らせします。
来る9月22日23日の二日間にわたって、第16回定期大会が開催されます。
会員外の方も参加できますので、どうぞお誘い合わせの上、おいでください。
会 場 NAHAN(なはん)プラザ(東北線花巻駅前)
会 場 宮沢賢治イーハトーブ館
きつねは望遠鏡を「いつかはれた晩にお目にかけます」などと言って、何故自分を追い込んでしまったのか。土神に追われながら「もうおしまいだ」と思うのだが、何がおしまいだと言っているのだろうか。そしてきつねは、身を守るものなど無い自分の巣穴に逃げ込もうとする。きつねには不可解な行動が目立つ。しかしきつねの側に立って考えてみると、きつねの行動をつなぐ一つの決意が浮かび上がってくる。
きつねは見栄をはる自分を嫌悪していた。樺の木に本当のことが言えないのなら、望遠鏡の嘘がばれないうちに樺の木の前から姿を消すしかおなかった。きつねは樺の木に密かに永遠の別れをつげにきた。どこか遠くに行こうと思っていたのだろう。しかし思いもかけず、土神の殺意に直面した。きつねは短時間のうちに、自分の本当の姿をさらし、土神に殺される道をえらんだ。自己を嘲笑するきつねは土神の泪で浄化されたのだろうか。
既に「《宮澤賢治》鑑」の序次章″《宮澤賢治》作品史の試み″に指摘されている″法華経と化学″に関連し、本年、単行著「二荊自叙伝」が刊行、雑誌「現代化学」に真島利行が登場した。これらは、宮澤賢治作品が愈々、世界的規模に於て論考できる段階に入ったと言うべきである。
これまで、イーハトーブにおける鈴木梅太郎の講義業績や座右書「化学本論」を基礎根本として眺めてきた。その著書・片山正夫の在職地は、センダードである。其処には、漆喰研究室や磁性研究室が存在する。1932年作「グスコーブドリの伝記」に現出する人名の解読とそれら職務内容の検討から、宮澤賢治流の理学と実学、さらに調査と研究の差異などが考察される。
更に賢治流の物理観に言及し、能量の分類、構造の解析、そして輝線の分析を試みることができ、前駆形と発表形の経時差から博物学領域と物理学領域の進歩が比較でき、今回、特に分子論(舎密学→化学)に関する論考を中心に絶句に焦点を絞り詳述する。
昭和24年、札幌で『税務署長の冒険』が発行された。発行者は古河武雄(八森虎太郎の本名)、発行所は北海道酒類密造防止協力会とあり、本書は「氷河鼠の毛皮」に加え、B6判116頁の 薄い本である。八森虎太郎は、1914年、岩手県に生まれ、稗貫農学校を卒業。戦前から与田準一の主宰する「チチノキ」に参加するなど詩人として活躍。戦後、北海道麦酒配給統制会社札幌支店に勤務。昭和22年、詩誌「日本未来派」の発行に尽力し、その発行資金の一部にあてようと『税務署長の冒険』を発行したという。発行許可は宮沢清六氏から受けたとあとがきにある。昨年発表された「北海道における賢治の受容」(横田由紀子)に引き続き、北海道での賢治受容史の一環としての考察と、北海道における密造酒取締の実体も合わせて考察したい。
参考資料:「宮沢賢治『税務署長の冒険』−その社会的背景と租税意識−」澤口勝弥(「宮沢賢治ANNUAL」8号 1998)
「ポラーノの広場」プロローグで、主人公キューストは、〈植物園に拵へ直すといふので〉〈役所の方へまはってきた〉競馬場の跡地に、宿直という名前で住み役所へ通う。そこは、〈景色のいゝまはりにアカシアを植え込んだ広い地面〉で、キューストの自由な時代の象徴である。競馬場については、既に天沢退二郎氏が、「「ポラーノの広場」あるいは不在のユートピア プロローグをめぐって」(「国文学 解釈と鑑賞」1984 11)
で、〈用途変更のモチーフ−ただし、競馬場でも植物園でもなく、それ以外のものでもない、どこにも無い、なんでもない場所〉と言及されている。さらに、藩政以来の馬産地岩手での競馬の持つ意味、農村との関わり、賢治存命中の盛岡市、水沢市、花巻市の競馬場の移転と変遷、競馬場周辺の地誌を考察することで、なぜ賢治が競馬場を描いたか、競馬場はどこを想定しているか、プロローグの意味とも合わせて明らかにする。
賢治短歌を、単なる伝記的事実の補助資料としてではなく、第一義的には、「文学」として読み解きたい。これが発表者の賢治短歌に対する基本的態度である。この解明のためには、賢治短歌の全般に渡る巨視的考察と、個々の作品に即した微視的考察とが必要であろう。発表者としては、具体的には、前者については、「編集意識・定型意識・比喩」等を、後者については、個々の作品に即した評釈〔これについては、2005年4月1日から『盛岡タイムス』における連載を開始している。〕とを視野に入れている。
本発表は、前者に位置するもので、「編集意識」考察の第1回に相当するものである。「明治四十四年一月より」(「歌稿B」)」と生活事実の対比によって、「歌稿B」が、生活事実に即した単なるメモではなく、編集意識に裏付けられた「文学的作品」であることを示したいと思う。
今年は、相対性理論発表百年目の記念の年。
大正11年、アインシュタイン来日時の相対性理論ブームは、今ではとても想像できないほど熱狂的なものだった。関連本が24冊以上も出版され、講演会には大衆が詰めかけた。賢治もその熱狂の坩堝に身をおいていたはずだ。しかし、賢治と相対性理論の結びつきを直接証明する資料はほとんどない。妹トシの死と重なったためと思われる。賢治は一体どこから、どんな形で「四次元幻想」の源泉となる相対性理論を吸収したのだろうか。
賢治の死後、遺された蔵書目録のなかに、祖父・寮佐吉の手がけた本があり、それが、日本語で書かれた唯一の物理の本であったことから、わたしの探究の旅ははじまった。
19世紀末西欧の心霊主義と相対性理論の関連、当時の日本人が相対性理論に夢見たものは何だったのか。神秘学・心霊学的側面も多分に含まれていた相対性理論の受容と賢治文学の関連を、書誌的観点から考察したい。
| 8月25日(金) | 8月26日(土) | 8月27日(日) |
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| 文化会館 | なはんプラザ・ホテルグランシェール | なはんプラザ・ホテルグランシェール |
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宮沢賢治国際研究大会企画検討委員会では、宮沢賢治生誕110年を記念して、これまで2回の成果をふまえ、「第3回宮沢賢治国際研究大会」開催にむけ、その内容を検討しております。
会期は2006年8月25日(金)から三日間ですが、その大会プログラムのひとつとして、宮沢賢治研究発表会を次のとおり催します。ここに、下記の1〜3の内容に関する発表者を募集いたしますので、どうぞ応募くださいますようご案内いたします。