第93号 2008.09.02
宮沢賢治学会イーハトーブセンター事務局発行
9月となり、花巻はすっかり涼しくなりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今月は21日の賢治祭をはじめ、各地で多くの催しが予定されております。
さて、今回同封されております情報チラシは次のとおりですので、どうぞご確認ください。
今回、本年度の会費(毎年4月〜翌年3月)につきまして、前年度分滞納の方、及び今年度未納の方に、事務局だよりとともに郵便振替の用紙を同封いたしました(納入済みの方には同封されておりません)ので、納入についてよろしくお願いいたします。同時に会費の受納は随時受け付けております。イーハトーブ館への来館のおり、または郵便局、銀行へお立ち寄りの際、収めてくださいますようよろしくお願いいたします。
郵便振替口座 02330=7=26637
岩手銀行花巻支店普通口座 0480908
名義 宮沢賢治学会イーハトーブセンター
会費年額 一般・3000円 学生・1500円
賛助会員・個人 一年一口1万円(何口でも可)
・団体 一年一口3万円(何口でも可)
小中学生無料
このお知らせと行き違いにお支払い済の場合は、何とぞご容赦のほどお願いもうしあげます。また、会費に関するお問い合わせは、事務局までどうぞ。
前回事務局だより(6・25)以降の理事会・委員会ごとの会務をお知らせします。
8月3日 第1回理事会 宮沢賢治イーハトーブ館 13:30
・2007年度事業報告及び決算について、第18回宮沢賢治賞、イーハトーブ賞の決定について ほか
8月3日 第2回企画委員会&定期大会実行委員会 宮沢賢治イーハトーブ館 15:00
・2008年度事業の執行について、第19回定期大会プログラム等
7月6日 第3回賞選考委員会 宮沢賢治イーハトーブ館 13:00
・第18回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞 第3回選考会議
7月18日 宮沢賢治学会イーハトーブセンター会計監査 宮沢賢治イーハトーブ館 10:00
・2007年度会計監査 赤井、阿部、両監事出席
7月27日 第一回宮沢賢治イーハーブ館「風のワークショップ 石っこ賢さんになって遊ぼう」開催
8月2日、3日 宮沢賢治夏季特設セミナー開催 花巻市大迫交流活性化センターほか
・「風の又三郎の謎に迫るD」 参加者 初日:86名 二日目:48名
8月13日 宮沢賢治イーハトーブ館企画展開幕 2009年8月末まで
・賢治研究の先駆者たちC「高村光太郎展」
来る9月22日23日の二日間にわたって、第19回定期大会が開催されます。
会員外の方も参加できますので、どうぞお誘い合わせの上、おいでください。
主催/花巻市
選考経過報告、主催者あいさつ、受賞者あいさつ、記念行事
議事
発表者と発表要旨は後述。
◆花巻農業高校「賢治先生を偲ぶ会」 花巻農業高校賢治銅像前 午前9時〜
◆賢治の里で賢治作品を読む会 宮沢賢治イーハトーブ館 午後1時〜
◆賢治祭 花巻市桜町 雨ニモマケズ詩碑前(雨天時は南城小学校体育館) 午後5時〜
作品『なめとこ山の熊』の、熊たちが雪にひれふす中、その「いちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったやうになって置かれていた」というシーンを解釈する。この小十郎の形は熊たちのしわざと考えられる。熊たちから崇敬される尊像の形である。なぜこの形か? 小十郎が「同じ山に生きる仲間」として認知されていたという解釈では不十分である。また、熊に因果を聞かせて引導を渡し、出離の機縁を与えているからと考える「諏訪の堪文」風の解釈も、小十郎が自らの死の直前に「熊ども、ゆるせよ」と思っていることを見れば不十分である。小十郎は自らの記憶の空間で、熊たちの最も輝かしい姿に、死後も存在を与える者だったのではないだろうか。小十郎が「ゆるせよ」と思うのも、自身の死後は熊のこの存在も失われるからである。小十郎のこの特別な能こそ熊たちが彼を特別に崇敬する理由ではないか。また、無量寿の如来と小十郎の違いもここから読み取れる。
北守将軍とは北方の蝦夷征伐の将軍、坂上田村麻呂のこと。
花巻市に胡四王神社は、北方を守るため(つまり北守)北向きに建物が建っている。蝦夷征伐の本拠地、祈願の地としこれらの神社は建てられた。薬師如来を祀った、この物語は坂上田村麻呂を「北守将軍」、薬師如来を「三人兄弟の医者」という位置づけにして、「胡四王神社」を舞台とした物語と考える。
・サルオガセと仙人
将軍にこびりついた「灰いろしたふしぎなもの」私はこれを「サルオガセ」と考える。「サルオガセ」は地衣類で緑褐色をし高木の林に網状にたれさがる。ヨコワサルオガセからリトマス色素がとれる。強壮剤である。
北守将軍は砂漠に向かう前、林の中を通った。そこで地衣類の胞子を体に付けた。サルオガセの強壮作用で林に帰った北守将軍はなんにも食べずに林で仙人になったと考える。
三年前の賢治祭で花巻南校生演じた劇「紫紺染めについて」を見て心揺さぶられました。
紫紺染をもっと知りたくて草木染講座で紫紺染を体験した後、古代むらさき染を花輪の栗山ケフ様を訪ね、その守り続けた伝統技法の話と作品を見せて頂く機会に恵まれました。
また絶滅危惧種となったムラサキの保護と栽培研究を熱く語る盛岡農高生にも感動しました。そしてその姿を高農生だった賢治が見守っているように思えたのです。
それは研究所の藤田謙氏の岩手日報への八回連載記事があり、拠ると岩手県が大正六年に「臨時工業原料調査会」を発足させ、調査項目の第三類が紫紺の栽培試験および染色で調査依頼先筆頭が盛岡高等農林でした。大正四年に入学した賢治は紫紺染の研究を目の当りにしていたのです。だからこそ褒状への賞賛が童話へとなったのです。
紫紺染めとあえて書いたことと山男の言動に込めた現代社会にも通じる警鐘にも言及したいと思います。
珍しくトマトを題名に持つ作品である。野菜を栽培するペムペルとネリが通りかかったサーカスの後を追うと、みんなが金を渡して場内に入るのを見る。急ぎ金色を放つ自園のトマトを採り番人に渡すが、トマトでは入れないと怒鳴られ、泣く。物語を語る剥製の蜂雀は意味ありげに「かあいそう」を繰り返す。「かあいそう」の内実は明かされない。
「かあいそう」を解くには、物語を紡ぐ作者の言葉に耳を傾け、言葉が担うものを織る必要がある。先ず題名の「黄いろのトマト」、そして「青いガラスの家」「赤いガラスの水車場」「黄色いガラスの納屋」「サーカス」等である。「賢治とトマト」にもフオーカスを当て解明の手懸りとしたい。
トマトを日本人が食べるようになったのは昭和に入ってからだという。賢治は大正9年頃にトマトを栽培し、食べ、他人にも勧めている。これは、最新の農学を修めた者の自負であり、物語内容に止まらず題名にまで用いたのも、その思いの一つであろう。注目すべきは、トマトは英、米、仏では(愛のりんご)、伊では〈黄金のりんご〉とよばれていたことである。トマトは〈愛の〉〈黄金〉と形容される〈りんご〉であった。「その黄いろなトマトをとりもしなけりゃぁ、一寸さわりもしなかった」兄弟。サーカスの入場料に用いたのは禁忌を犯したのではなかったか。「青いガラスの家」に住む二人は通常の人ではないとも思える。これらに疑問を解く糸口を見、物語は何を語っているかも含めて考察したい。
「銀河鉄道の夜」原稿は入沢・天沢の討議を基に4区分する形が定説化し、初期形(1)〜(3)・後期形、または第1〜4次稿と呼ばれてきた。私は宮沢賢治記念館刊行の自筆原稿コピーを分析し、6区分を提案する。すなわち初期形(1)から前半を割き、先駆形とし、後期形を2分し(1)、(2)として、いわば0〜5次稿とする。従来の4区分は、主に用紙や筆記具など「もの」による区分であったが、再区分には景観描写や人物の呼称、書体など「こと」による区分を用いた。先駆形(60〜66葉)は岩手軽便鉄道モデルの銀河鉄道東西線の物語で、景観描写に三角標や十字架はなく、地形に大きな起伏があり、星座は具体的な人や動物として登場し、東北本線モデルの南北線に比し明るく楽しい。後期形(2)の83葉では、カンパネルラの生死は不文明となり、彼の父親の呼称が博士となる点で、後期形(1)となる。これにより路線の混乱やカンパネルラの父の言動の不自然さが消滅する。
前回私は、賢治がその意図とした「或る心理学的な仕事」が、現在トランスパーソナル心理学者が研究対象としている無意識の領域(超個的領域)の考究であり、『小岩井農場 パート九』で「記録」されたのは賢治自身のトランスパーソナルな体験(超個的体験)だと説明しました。そして、その視点で見ると(神的存在の認知が可能になる)内界と外界が一致する高次の意識の帯域(元因領域)に、宗教と科学の一致点があり、新たな文明の転換点があることを賢治は訴えたと理解されると説明しました。
今回は、『銀河鉄道の夜』における「或る心理学的な仕事」もまたトランスパーソナルな領域の考究であり、賢治の処女作である『春と修羅』「序」の主張を集大成した作品が『銀河鉄道の夜』であるという主張をしたいと思います。その作業により、生涯、終始一貫した賢治像を再現できるからです。
私は賢治の思想の根底であり、賢治が理想とした法華経の不軽菩薩の生き方を探るうち「雨ニモマケズ」の中に、中国法華の天台大使が説いた生命論の最高峰といわれる「摩訶止観」の「一念三千」論で説かれている「十界」がそのまま詩として述べられ、その詩の生命状態は「六道」(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界)から順じ「四聖(声聞界、緑覚界、菩薩界、仏界)の「菩薩界」を目指し、理想の生命である「仏・菩薩界」への向上を述べており賢治のめざしている生命のあり方を詩を通して語りかけているのではないかと思い今回の研究発表を申し込みました。
即ち、別原稿「詩『雨ニモマケズ』の一考察」です。この「雨ニモマケズ」の十界論の判断は、日蓮の「歓心本尊抄」の文に依りました。その中で、@作詩時の賢治の十界論 A生命論上の文学的意味合い B21世紀の詩人たる所以 等を述べたいと思います。
分子、原子、コロイド、モナド・・・賢治は作品において、いろいろな粒子を選び、微妙に使い分けながら心象風景をスケッチしている。これらの言葉は、専門用語として独自の意味を持っているが、その言葉の使い分けには、賢治の粒子に対するイメージが深く関与していると考えられる。また、表現される対象(例えば「銀の分子が析出される」や「コロイダールな風と夜」)を比較することにより、物質をはじめ、大気や風、生命、宇宙について賢治がどのように感じ、捉えていたかを垣間見ることができる。賢治が生きていた当時の一般概念や、吸収した知識を通じて賢治自身が創り上げた、粒子感とでもいうべき科学に対する独自の感覚について、考察した点を報告したい。
また、私は理工系大学院に所属している学生である。いわゆる"理系"の立場から、そして学生の視点から、賢治の魅力ある粒子感について、専門用語や難しい言葉を使わずに考えを述べたいと思う