第97号 2009.09.01
宮沢賢治学会イーハトーブセンター事務局発行
9月となり、花巻はすっかり涼しくなりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今月は21日の賢治祭をはじめ、各地で多くの催しが予定されております。
さて、今回同封されております情報チラシは次のとおりですので、どうぞご確認ください。
今回、本年度の会費(毎年4月〜翌年3月)につきまして、前年度分滞納の方、及び今年度未納の方に、事務局だよりとともに郵便振替の用紙を同封いたしました(納入済みの方には同封されておりません)ので、納入についてよろしくお願いいたします。同時に会費の受納は随時受け付けております。イーハトーブ館への来館のおり、または郵便局、銀行へお立ち寄りの際、収めてくださいますようよろしくお願いいたします。
郵便振替口座 02330=7=26637
岩手銀行花巻支店普通口座 0480908
名義 宮沢賢治学会イーハトーブセンター
会費年額 一般・3000円 学生・1500円
賛助会員・個人 一年一口1万円(何口でも可)
・団体 一年一口3万円(何口でも可)
小中学生無料
このお知らせと行き違いにお支払い済の場合は、何とぞご容赦のほどお願いもうしあげます。また、会費に関するお問い合わせは、事務局までどうぞ。
前回事務局だより(6・25)以降の理事会・委員会ごとの会務をお知らせします。
8月9日 第1回理事会 宮沢賢治イーハトーブ館 13:30
・2008年度事業報告及び決算について、第19回宮沢賢治賞、イーハトーブ賞の決定について ほか
8月9日 第2回企画委員会&定期大会実行委員会 宮沢賢治イーハトーブ館 15:00
・2009年度事業の執行について、第20回定期大会プログラム等
6月27日 第3回賞選考委員会 宮沢賢治イーハトーブ館 13:00
・第19回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞 第2回選考会議
・2008年度会計監査 阿部、市野川、両監事出席
8月2日 宮沢賢治イーハーブ館「第一回風のワークショップ賢治さんと夏の夜空を散歩しよう」開催
8月8日、9日 宮沢賢治夏季特設セミナー開催 宮沢賢治イーハトーブ館
・「賢治短歌の謎にせまる」 参加者 初日:58名 二日目:45名
謹啓 ますますご清栄のこととおよろこび申し上げます。
さて、次により定期総会を開催いたしますので、ご出席くださいますようご通知申し上げます。なお当日ご出席願えない場合は、委任状によって議決に参加していただくことができますので、所定の様式により他の出席会員にご委任ください。
記
1 日 時 2009年9月22日(火曜日) 13:15〜
2 場 所 NAHAN(なはん)プラザ(東北本線花巻駅前)
3 議 題 議案第1号 2008年度事業報告及び収支決算の承認について
議案第2号 2009年度事業計画及び収支予算について
議案第3号 役員の改選について
※ 当日ご出席の際は、会員証を会場受付にご提示くださいますようお願いします。
定期実行委員会
来る9月22日23日の二日間にわたって、第20回定期大会が開催されます。会員外の方でも参加できますので、どうぞお誘い合わせの上、おいでください。
主催/花巻市
選考経過報告、主催者あいさつ、受賞者あいさつ、記念行事
議事
持ち時間1人15分で、3〜4人によるリレー方式のミニ講演です。
「私と賢治」というテーマで参加者が5分間の中で、それぞれの思いを気軽に述べあうコーナー。ただし「宣伝」や「行事案内」だけの内容のものは御遠慮いただいておりますので、あらかじめご了解願います。なお、発表者への記念品を用意いたしますので、どうぞ皆様ふるってご参加ください。申込みは、当日会場にて受付けます。(希望者多数の場合、連年での発表者の登壇をお断りする場合がございますので、ご了承願います。)
一日目の行事終了後、なはんプラザで、参加者の交流・懇親会を開催いたします。
当日会場にて受付けいたします。
会費:2000円(学生1000円)
発表者と発表要旨は裏面です。
《宿泊のご案内》
花巻観光案内所・観光センターをご利用ください。市内のすべての宿泊施設をご案内いたします。
花巻観光案内所(花巻駅前) 電話/FAX 0198−24−1931
花巻観光センター(新花巻駅舎内) 電話/FAX 0198−31−2244
花巻市桜町 雨ニモマケズ詩碑前(雨天時は南城小学校体育館) 15:00〜
宮沢賢治イーハトーブ館 13:00〜
昨年、私は賢治の「雨ニモマケズ」を、法華経方便品から天台大師が説き表した摩訶止観の"十界互具"の生命観を通し、"菩薩界"を底流にした作品であり、その生命観の上から「雨ニモマケズ」での賢治の思いに迫ってみました。
今回はその上に、(1)作品中の"四方"の捉え方を釈尊との違いから賢治の思いに迫ってみたい。又、(2)この作品の全体の流れから、古代印度での人生の捉え方、所謂「学生期、家長期、林住期、遊行期」をこの作品を通し追ってみたいと思います。そして、(3)この作品がはらむ方向性が、今後の世界の時代精神に必要なものと思いその事を考えたいと思います。
ともかく、賢治の作品は東京での遺言状を表す以前と以降では生命の捉え方が大きく変わり、所謂、死を覚悟し死から生を考えたその結果、生命的境涯が大変革し、それ以降の賢治の作品は「上求菩提・下化衆生」の菩薩界の生命が明らかに底流にあると読むべきものになっていると思いその一端を述べたいと思います。
『銀河鉄道の夜』第三次稿の最終段階で、賢治は第三次稿の冒頭「ケンタウル祭の夜」の第一葉欄外に「ベートーフェンの幻想を」と記している。このメモは、賢治が、次の最終第四次稿で大きな転換を図ろうとする意識を、明確に抱いた言葉と考えられる。
では「ベートーフェンの幻想」とは何か。ベートーベンの曲の中で、「幻想」の語を含むものとして、「合唱幻想曲」(Fantasie fur Klavier, Chor und Orchester(Chorfantasie))がある。これは「「第九」の先駆を成す作品」とも言われ、「第九」交響曲のあの"歓喜"の旋律を髣髴とさせる旋律が何度も出てくる。ベートーベンのこの「合唱幻想曲」から「第九」への大きな転換を賢治が意識していたとすれば、Durch Leiden Freude(苦悩を突き抜けての歓喜)という「第九」の理念をも心に抱いたからこそ、『銀河鉄道の夜』第四次稿で、大きな転換をとげて文学的に一気に高い到達点を示したと言えるのではなかろうか。
大正十三年四月、関根書店より刊行された賢治生前唯一の刊行詩集である『春と修羅』は、類を見ないイメージと言葉の豊かさから多くの評価がなされてきた。一方作品の解釈としては賢治がこれらの作品が「歴史や宗教の位置を全く変換しやう」との意を込めて創作されていることが知られていながらも、その具体については明らかにされているとはいいがたい部分がある。そこには作品の核である「修羅」、その「歴史」性との関連の考察が多く見られなかったことが遠因しているように思われる。
以上の問題意識にたって本発表では、「修羅」を歴史的系譜の地平に放ち「修羅」の意味をとらえた上で、その関係性の上にある『春と修羅』の読解を試みる。そうして『春と修羅』にこめられた賢治の試みの意図を明らかにし、そしてそれが賢治独自の、闘諍の終わりへの試みにほかならなかったことを指摘したいと思う。
童話「風野又三郎」の「大循環の話なら面白いけれどむずかしいよ。」の「大循環」は、大気大循環とも言い地球規模の大気の移動を指す気象学の用語です。
又三郎の「大循環」の最初の行程、赤道直下のギルバート群島で高空に上った後に北極に向かうところは、十八世紀にハドレーが提案した大循環の南北方向の流れ、即ち赤道付近で上昇し次いで北上或は南下する対流そのものです。一方、大循環の東西方向の代表的な流れ、中緯度の高速偏西風(ジェット気流)は高層気象台長大石和三郎によって発見され、昭和初期に発表されました。しかしこの発表に先立つ大正末頃の童話で、風野又三郎は千島列島近くのタスカロラ海床からグリーンランドに到る東への長大な行程を「大循環」の中で移動していることが読み取れ、これはジェット気流に当るものと推定されます。
今でこそ知られているジェット気流ですが、大石和三郎の発表以前、世界で誰も知らなかった頃なぜ「風野又三郎」に登場したのか、その謎を追います。
宮沢賢治は妹トシの死に直面して曼陀羅をつくり上げる。「永訣の朝」のローマ字の部分を中心とし、わざわざ賢治によって四回くりかえされる、トシの呼びかけの部分からなる曼陀羅である。霙の中を花巻駅まで国柱会教諭長滝を出迎えに行く賢治は、心の中に一人で旅立っていく妹へ、その呼びかけに答えて結界をつくり、妹の思いをとげさせようとする。しかし、この曼陀羅は「松の針」「無声慟哭」をもエピソードとして含んでいて重層的であり、曼陀羅としては端正な姿で生まれてはいない。
「銀河鉄道の夜」は、このトシの死の一日に物語の重要なテキストを見い出している。天気輪の柱もジョバンニの切符もこの一日の中に意味を求めることができる。
「雨ニモマケズ」は賢治が自らの死を身近なものと感じた時期に、考えぬかれた強い意志で創作される。両義性を持ったいくつかの言葉により、未完成という姿で完結している。
一般に、宮沢賢治と保阪嘉内は大正10年7月18日に再会したが、信仰に対する意見の違いから激しく対立し、訣別に至ったとされている。昭和50年代以降の賢治研究書はほぼこれを踏襲しており、もはや定説と呼んで支障ない事柄であるように見える。
しかし、二人の「訣別」は賢治・嘉内の両者によって語られたことではなく、その根拠を検証すればするほど「訣別」が疑わしいものであることが認められ、逆に訣別はなかったという反証が浮かび上がってくる。この発表は、従来の賢治の伝記研究を概観しつつ、二人の「訣別」について新たな見方を呈示しようとするものである。
具体的には、宮沢賢治の書簡や作品、保阪嘉内の日記、周辺の人々の証言等を再検証することにより、今日まで疑いないことのように喧伝され、無批判に受容されてきた二人の「訣別」は、事実ではなく研究者等による幻想であったことを論証していきたい。
詩「稲作挿話」(あすこの田はねえ)について土壌肥料学的立場から考察を試みた。この詩には稲作に従事する教え子に対する暖かい眼差しが満ちあふれており、同時に米増産に対する賢治の強い意気込みが感じられる。この詩の作られた1927年(昭和2年)の岩手県の玄米生産量は15万7千tであり(現在は約32万t)、10aあたりの玄米収量は294kg(約2石)と、当時のほぼ普通作であった。また、水稲育種の国家プロジェクト第1号として1921年(大正10年)に育成された「陸羽132号」の栽培普及が進み、岩手県の水田の23.1%に本品種が栽培されている。新品種「陸羽132号」に対する期待の高さが、この詩からうかがわれるが、当時、最も広く栽培されていた品種は「陸羽132号」の親品種である「亀の尾」などの在来種であり、天候不順時の稲作に対する技術的助言がこの詩の前半の主要テーマになっている。それらの助言は折からの天候不順で徒長気味な在来品種の倒伏防止対策を意味すると考えられる。