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宮沢賢治学会・セミナー報告集 |
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1998年春季セミナー 花巻より三陸海岸をめぐって
花巻駅を背にして、右手線路沿いのなはんプラザに、モザイクタイルの大壁画「銀河鉄道の夜」がある。ジョバンニとカムパネルラの頗を一日見てから、バスに乗り込む。 学会・春季セミナーの名企画バスツアーの出発である。以下、句日記風に、筆者の耳目に新しい景観などを紹介させていただく。 二台のバスは、まず、軽便抜道の鳥谷ケ崎駅跡を通る。一号車ガイド役の力丸理事が、往時の沿線の家々の心配を代弁されるので、 軽便よ火の粉飛ばすな屋板焼けるの戯れ句が思わず口を突いて出る。 新花巻駅で満席となったバスは、一路、あの、夜空を背景にした軽便鉄道の写真で名高い岩根橋へ向かった。大きなアーチ型の橋脚は、いつ来て見ても飽きない。 宮守橋だってそうだ。おまけに、ここには、昔のままの煉瓦の橋脚の完全なのが一基と、半ば崩れて黒ずんだのとが残されている。 はだれ雪煉瓦橋脚墓碑のごと バスは、鱒沢、綾織などの由緒ありげな地点を経るや視界がひらけ、アイヌ語で「湖水だらけの処」を意味する遠野に入って来た。 雪解田は刺子(さしこ)のごとし遠野郷 土淵町高室にある水と民謡の盟「水光園」で昼食。その一角の幽り家で、「むがし、あったづもな。」ではじまり、「どんとはれ。」で終る語り部の昔話に耳を澄ます。 車は、賢治の頃は徒歩で越えた仙人峠へ。トンネルを出ると、すぐ左手に賢治の詩碑。 粉雪を寒戸の婆の餅粉とも 釜石は快晴。沖を望んで大観音。新日本製鉄の高炉はすでに無く、「鉄の歴史舘」でその面影をしのぶ。「鯨と海の科学舘」も見学。 名勝・船越半島の「タブの本荘」に投宿。 夕食前に佐藤勝一先生の講話。釜石線各駅のエスペラント名愛称を紹介のあと、賢治の「エスペラント詩稿」八篇を鑑賞された。 懇親の宴果ててもロビーの円座はにぎやか。 椨(たぶ)の樹の北限にあり春岬 海の日の出を眼下に、庭でシャッターを切る若者は、親子で参加されたYさん。遅い紅梅も東に張り出し、凛としていた。 バスは山田湾をぐるっとまわって、浄土ヶ浜へ向かう。賢治の宮古での足跡などを調査して二十年余りになるという山根英郎さんが途中から乗り込んで来られた。 「賢治はピッケルを携えて岩石を検べたり、歩きながら法華経の話もした。山の一角にある墓地から蛸の浜を遠望し、浄土ヶ浜には下りないで戻った。」(かつて盛中の寄宿舎で同室だった一年下の岡田与志松氏の追憶。当時、東海視察団一行が分宿した沢田屋旅舘の斜向かいに住んでいて、その晩は自宅に賢治を泊め、翌日付近を案内した時の様子。山根さんの同氏からの貴重な聞き書き。) 群るるほどつのる淋しさ渡り海猫(ごめ) この後、岩泉町の竜泉洞を見学。雪の舞う早坂高原を経由して、帰途についた。 やどりぎや根回りの雪円く解け 川幅に余る雪解の巌手山(いわて)かな (会員・千葉県松戸市)
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1998年夏季特設セミナー
長期企画として始まった夏季特設セミナー「宮沢賢治「文語詩」の謎にせまる」の第二回目が、8月1日、2日の二日間、宮沢賢治イーハトーブ館を会場に、百名をこえる受講者を得て開催されました。 初日は、原代表理事のあいさつの後、コーディネーターの入沢康夫さんより、昨年の全般資料の追加となる「賢治文語詩詩型一覧」が配付され、また、新田大作『漢詩の作り方』の資料をもとに、文語詩における「聯」をどう考えるかについてお話しがありました。続いて、本会理事である高橋世織さんの「文語詩のヴィジュアリティ」の講演は、1895年におけるエックス線発見による 「不可視の光」や映画の出現など、宮沢賢治生前の時代背景と宮沢賢治作品におけるヴィジュアル性について、文語詩「林舘開業」「記念写真」などを具体例としながら考察していただきました。 二日目は研究発表として、村上英一「作品研究「朝」」、澤田由紀子「「心象スケッチ」としての「文語詩稿」」、赤田秀子「作品論〔日本球根商会が〕」、森三紗「『女性岩手』掲載の賢治の詩について」の四人の方々の発表があり、「文語詩」の概論や作品についての論者など、本セミナーの成果は着実に積み重なりつつあります。 さて、すでに事務局だよりに掲載いたしましたが、入沢康夫さんが来年のプランを練るべく、第一日目約二時間のレクチヤーをして下さる方(第一年目は岡井隆さん、今年は高橋世織さん)について、こういう方の話をききたいというアイデア・御希望を募集中です。大いに参考にして人選をすすめたいとのことですので、どうぞ事務局までお寄せ願います。
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