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宮沢賢治学会・セミナー報告集 |
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2000年宮沢賢治国際研究大会印象記
国際研究大会には、四年前に引き続いて参加した。生誕百年の喧喋にやや足が地に着かなかった印象のある前回に比べ、今回は内容、運営面共々改善の跡が見られ、さらには聴取者側も距離の取り方に馴れたのでまた一段深いコミュニケーションのレベルに達したような気がする。しかしなによりも、この花巻における三日問の濃密な時間体験は、当初の期待をはるかに超えて豊かであつて、おみやげに心地よい疲労を残し、それは「東京」に帰ってもしばらく続いた。以下断片的できれぎれであるが、印象記という題に依存して、私のスケッチのひとくさりを記す。 初日の会場花巻文化会館は、オープニングにふさわしく、賢治の作品「ビジテリアン大祭」にあるのと同じ晴れがましさに確かにつつまれていた。日頃、主に誌面のみでご活躍の先生方も舞台照明の下に現れて陣頭指揮をとられる。これはセンター規約に「研究・愛好・交流」といった文字が入っていることと無縁で無い。なかなか良い規約である。 しかしあらためて考えて見ると何故国際大会か、いくら賢治が宇宙的・普遍的であるかということを頭で識っているつもりでいてもやや不安が残る。その不安を解消する答えがそれぞれのご発表(特に外国の方の)に発見される。 彼の国インドでは「よだかの星」が良く読まれるそうだ。兄弟からいじめられるよだかの境遇に現代インドが持つ社会問題が重ね合わせられる。インドの方の口から(お二方とも「よだかの星論)発せられる。「カースト」という言葉が重い。 翻訳された賢治作品の発行部数は記憶によればフランスでは一万部、アメリカでは三千?、インドではこれから出版、というような話だつた。なによりこれからの実数が話題に登場してきたということを評価したい。後はこの数を増やし、今までに日本国内で出されたグリムやアンデルセンの本のそれに近づけるだけである。 それにしても、驚嘆するのは日本語を母国語としない発表者の方々の語学力である。例えば自分が外国へ出かけていってもちろんその国の言葉で発表し(発表だけならば原稿を用意することで可能かもしれないが、問題は)質疑応答までこなす、これは考えただけでもぐるぐるすることである。このような方々にまかせておけば、賢治文学の国際化も安泰である。しかしまた、このような大俊才にしてからに超えにくい彼我の文化的ハザードも確かに存在する。この微妙な差異の現れている部分がまた大変に興味深い。 今回は、幕間をつなぐアトラクションも豊富であった。茶席・早池峰神楽・合唱・演劇等々。これらぜいたくなアトラクションの持つ奥深さは、アカデミックなプログラムでやや凝ってしまった脳ミソをシャッフルするのにたいへん効果的であった。 さてさて、このあと西暦二〇三〇年くらいには賢治作品も世界の主要な国々では一般教養化し、賢治学会パリ支部も出来ているだろう。花巻空港には海外からのお客様が沢山降りるようになる。だから少なくともこの時まで、賢治作品の舞台は保全しておく必要がある。イーハトーブの自然はもちろんのこと、花巻語も絶滅しないように注意しなければならない。
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国際研究大会に参加して
来る八月二十六日、二十七日の二日問に 渡って開催された「宮沢賢治国際研究大会」 は、二会場で同時に行われ、発表者の方々の レジュメが足りなくなるほどの盛況ぶりを見 せ、また、各発表の質疑応答においては、ディ スカッションと見まがうほど質問が活発に提 出され、残暑厳しいこの花巻の地をさらに熟 くさせるには充分であ、りました。 「宮沢賢治−多文化の交流する場所」をテー マに掲げ、第二回目となった今大会は、周龍 梅氏の「賢治童話の『いじめ』について」、小 林節子氏の「賢治作品にみる環境倫理-仏教 と環境を考える−」などの賢治の現代性に着目 したものや、パウル・ツェラン、トーマス・ ハーディ、WBイエイツらを対象とした比較 文学的研究など、非常に多角的で有益な研究 発表が行われ、大きな実りを得ることが出来 たと思います。 また、発表は研究者のみを対象とすること はなく、一般の賢治愛好者の興味もそそるこ とが出来るよう、作品内容の説明が加えられ るなどの配慮があったり、発表中に引用した 賢治作品を感情たっぷりに熱く朗読されてい たり、大会は堅苦しくなく、分かりやすい雰 囲気で進行いたしました。 賢治の作品を過去のものとして研究してい くのではなく、二十一世紀という新世紀を迎 えるにあたって、賢治の世界を普遍的なもの として読み継いでいこうとする、その思いは 会場にいた全ての人々に伝わったことでしょう。 二十六日のシンポジウム「『銀河鉄道の夜』 -異文化へ-」では、パネリストの天沢退二 郎氏による基調報告が行われました。氏は、 『銀河鉄道の夜』は,イタリア語で書かれた 「オリジナル」があるということを前提とし た作品であり、その「存在しないオリジナル」 との関わりによりこの作品は存在するのだと いうことを定義付け、すでに設定が全体的に 異文化交流を打ち出している、翻訳という名 の異文化交流であると述べられました。この 斬新な考え方には賢治の広さと常に未来を見 つめる視点とを表しているように思われま す。どこまでも自由に発想を展開することの 出来る世界を持つ数々の作晶は私たちが受け 取った大切な財産なのです。 かつて賢治が自分の思いを外へ発信しよう と、その国際性を磨いていったように、私た ちはこれからも賢治の主張を、世界を日本だ けに留まらせることなく、異文化間において 様々な場面で伝えていかなくてはならない、 そう心に強く思いました。自己と他の境界線 を取り払い、多くのものと関連して白分が存 在していると感じたとき、それはもうすでに 賢治世界に触れているのだということを、私 は今大会で実感しました。 最後に、研究発表は総勢十七名、うち六名 が外国からの発表者で構成されていました が、全員が日本語で発表されていたというこ とを付け加え、この大会が誇るべきもので あったことをご報告いたします。
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