詩的共同体・イーハトーブ
「賢治の宇宙は、都市の散文的抗争体を拒否
した詩的共同体としてのコミュニティズムです。
おのれの生存の原点たる、おのれの『地方』に、
どのような生活文化の核をっくりあげるか、そ
の『地方』とは、球体をつつむ球面の上では、
すべての点が、中心であり、中央たりうるとい
う思考にもとづく。『農民芸術概論綱要』に示さ
れる極点は、まさにそれではないか」と詩人の
原子修さんは語った。白己から広がる創造性こ
そ「イーハトーブ」であると説く。
北海道賢治の会代表の木呂子敏彦さんは、高
村光太郎が賢治について言った「内なるコスモ
スをもつもの」の広がりを、自身の歩みにもふ
くめ、詩人浅野晃と戦後の穂別村長横山正明の
所業にみる。ふたりとも賢治に影響されたが、「横
山さんが感動にふるえたというリリエンソール
の『TVA』という本がありますが、その根っ
こはホイットマンの『民主主義の展望』ではな
いかと思います。汎神論的な性格に賢治の世界
がありますから」という。
力丸光雄さんは、「イーハトーブ」と「ユート
ピア」を同義語とする問題をふまえて、「トピア
はトポス、場所ということですね、、ユーは英語
のノゥ、つまりノウ・ウェア、どこにもないと
ころ、となります、、しかし逆にいうと、エブリ
ウエアで、どこでもユートピアといえます」と語
り、「冷たく暗い科学ではなく、自分の人生を芸
術とするサイエンティストをめざした」賢治の、
「おらほのイーハトーブ」がいかに国際化されて
いるかを述べた。
「べーオリンでイーハトーブの心を語る」と
題した板谷栄城さんは、「賢治は明るい人だった」
ことを、賢治が聴いたであろう中国民謡やタン
ゴ、流行歌など、バイオリンで演奏しながら愉
快に語った。
旭川賢治研究会の前佛トシさんは、戦前、小
学校の教員のときに、「人間宮沢賢治」を書いた
儀府成一と会い、賢治の作品群にふれた.その
強い影響から山形県の松田甚次郎を訪ね、入塾
を望むが女性ということで断られ、その後茨城
県内原の国民高等学校女子部に入り、満蒙開拓
義勇軍を志すが、病に臥す。田んぼの蛙の声が
ないと眠られないほど農業が好きで、苦労をは
ねのけて北海道で農業に打ち込んでいく。その
支えは賢治の思想であったという。
北海道穂別町での地方セミナーのテーマは、
「北のイーハトーブを探る」である。
「イーハトーブとは何か」という使いふるさ
れたことを、この山問の小さな町でとりあげた
ことには、ひそかな意図がある。お金さえあれ
ば欲しいものは何でも手に人る、という便利な
世の中になって、ユートピア思想は消滅したと
いわれるいま、「理想郷」と訳されがちな「イー
ハトーブ」への、疑問と指標が提言されないも
のか、と思ったのである、一二十一世紀になれば
「イーハトーブ」は変質するか。経済や文明の発
展だけが豊かさではないという、その対極にあ
る環境では、豊かさは何によってつかめるのだ
ろう。
あいにくの雨天であった。
およそ六〇〇〇万年前の化石が露出している
「富内イギリス海岸」も、バスの中からの見学で、
蛇紋岩渓谷の散策もあまり時間をとることがで
きなかった。紅いキャンドルに彩どられた「涙
ぐむ眼」の花壇も雨にぬれ、松村彦次郎さんと
八鍬宣子さんの朗読がおだやかな感動をさそっ
た。もしかするとこの日だけ廃線の駅長に扮し
た地元中学校の校長が、汽笛にひたりながら
「イハトーブ」を味わったのかもしれない。
(理事北海道穂別町)