宮沢賢治学会・セミナー報告集  
宮沢賢治学会・セミナー報告集

宮沢賢治学会ほべつセミナー

 
「北のイーハトーブを探る」
2000年9月14日

詩的共同体・イーハトーブ

 「賢治の宇宙は、都市の散文的抗争体を拒否 した詩的共同体としてのコミュニティズムです。 おのれの生存の原点たる、おのれの『地方』に、 どのような生活文化の核をっくりあげるか、そ の『地方』とは、球体をつつむ球面の上では、 すべての点が、中心であり、中央たりうるとい う思考にもとづく。『農民芸術概論綱要』に示さ れる極点は、まさにそれではないか」と詩人の 原子修さんは語った。白己から広がる創造性こ そ「イーハトーブ」であると説く。

 北海道賢治の会代表の木呂子敏彦さんは、高 村光太郎が賢治について言った「内なるコスモ スをもつもの」の広がりを、自身の歩みにもふ くめ、詩人浅野晃と戦後の穂別村長横山正明の 所業にみる。ふたりとも賢治に影響されたが、「横 山さんが感動にふるえたというリリエンソール の『TVA』という本がありますが、その根っ こはホイットマンの『民主主義の展望』ではな いかと思います。汎神論的な性格に賢治の世界 がありますから」という。

 力丸光雄さんは、「イーハトーブ」と「ユート ピア」を同義語とする問題をふまえて、「トピア はトポス、場所ということですね、、ユーは英語 のノゥ、つまりノウ・ウェア、どこにもないと ころ、となります、、しかし逆にいうと、エブリ ウエアで、どこでもユートピアといえます」と語 り、「冷たく暗い科学ではなく、自分の人生を芸 術とするサイエンティストをめざした」賢治の、 「おらほのイーハトーブ」がいかに国際化されて いるかを述べた。

 「べーオリンでイーハトーブの心を語る」と 題した板谷栄城さんは、「賢治は明るい人だった」 ことを、賢治が聴いたであろう中国民謡やタン ゴ、流行歌など、バイオリンで演奏しながら愉 快に語った。

 旭川賢治研究会の前佛トシさんは、戦前、小 学校の教員のときに、「人間宮沢賢治」を書いた 儀府成一と会い、賢治の作品群にふれた.その 強い影響から山形県の松田甚次郎を訪ね、入塾 を望むが女性ということで断られ、その後茨城 県内原の国民高等学校女子部に入り、満蒙開拓 義勇軍を志すが、病に臥す。田んぼの蛙の声が ないと眠られないほど農業が好きで、苦労をは ねのけて北海道で農業に打ち込んでいく。その 支えは賢治の思想であったという。

 北海道穂別町での地方セミナーのテーマは、 「北のイーハトーブを探る」である。

 「イーハトーブとは何か」という使いふるさ れたことを、この山問の小さな町でとりあげた ことには、ひそかな意図がある。お金さえあれ ば欲しいものは何でも手に人る、という便利な 世の中になって、ユートピア思想は消滅したと いわれるいま、「理想郷」と訳されがちな「イー ハトーブ」への、疑問と指標が提言されないも のか、と思ったのである、一二十一世紀になれば 「イーハトーブ」は変質するか。経済や文明の発 展だけが豊かさではないという、その対極にあ る環境では、豊かさは何によってつかめるのだ ろう。

 あいにくの雨天であった。

 およそ六〇〇〇万年前の化石が露出している 「富内イギリス海岸」も、バスの中からの見学で、 蛇紋岩渓谷の散策もあまり時間をとることがで きなかった。紅いキャンドルに彩どられた「涙 ぐむ眼」の花壇も雨にぬれ、松村彦次郎さんと 八鍬宣子さんの朗読がおだやかな感動をさそっ た。もしかするとこの日だけ廃線の駅長に扮し た地元中学校の校長が、汽笛にひたりながら 「イハトーブ」を味わったのかもしれない。

(理事北海道穂別町)


冬季セミナーシンポジウム


宮沢賢治と<児童文学>
佐藤通雅

 今回のテーマを「児童文学」でなく、<児童文 学>とした理由は、従来の「児童文学」というジャンルの概念が溶解し、 大人の文学との境界が不分明になってきたことによる。 そういう状況のなかで、賢治の「童話」はどのように 位置づけられ、また読まれていくだろうか、 さらに二十一世紀へ向かって、どのような読者にめぐり会えるだろうか、 世界児童文学とし開かれていく可能性はあるのだろうか− という大問題にあえて挑戦してみようとしたわけである。

パネリストは私市保彦氏。氏はフランス文学が専門で、 バルザックの訳者でもあり、また「世界の児童童文学」「子供が自立する時」 「モネ船長と青ひげ」などの著書もある谷本誠剛氏は、イギリス文学が専門で、 日本イギリス児童文学会長も勤める。 「物語にみる英米人のメンタリティ」 「イギリス文化史入門」 「宮沢賢治とファンタジー童話」 などのほか「オズの魔法使い」の訳者でもある。 寮美千子氏は絵本「星ねこミューンのオルゴール」 小説「小惑星美術館」「ノスタルギガンテス」その他の作家であり、 また詩人でもある。パネリストのなかでは最も若く、勢いもいい。

 実は私はどの方とも初対面で、賢治に関してど いう見解をもっているのかも知らない。はたして うまく運営していけるかどうか不安だった。し し連絡を密にする時問がない、こちらで展開の 序を素描し、ほとんどぶっつけ本番で臨んだ。

その順序とは……
(1)コーディネーターよりバネリストの略歴紹介と本日の問題提起。
(2)各パネリストより自分の研究の守備範囲と賢治との関わりの概略紹介。
(3)賢治童話と児童文学はどのように位置づけられてきたか。
(4)現在、児童文学または児童はどのように変質しているか。
(5)それに対して賢治作品はどのように読まれる可能性があるか。
(6)また「世界児童文学」たりうる可能性はどういうところにあるか。

 いざはじまってみると、さすが各分野の、ブロだ けあつて有益な提言があり、また興味深い問題点 も浮かび上がってきた。さらに熱が入って、パネ ラー同士が自発的に議論、司会など不要なシンポ ジウムとしては最も理想的なパターンにさえなっ た。各パネラーの発言を詳細にまとめるスペース がないので、印象的だった部分をいくつか紹介し ておきたい。

 まず現代文学の変質についての議論。かつては 文学の前提にコンプレックスがあったが、現在は なくなっている.それに対して、文学はあふれて 「皆が作家」という状態と呈しているが、コンプ レックスは内向しているという反論があつた。賢 治の作品に女性原理が少ないという指摘には、す かさず、たしかに女性のイメージは貧困だが、物 語全体はむしろ女性的だという異論が出た。賢治 の作品が世界文学たりうるかどうかについては、 日本語としてのハンディはあるものの、充分に可能 だという点で一致した。

 質疑応答の時間に人り、まず天沢退二郎氏ナがパ クダン発言。平塚武二が「白象」第一冊(一九四九年) に「宮沢賢治は児童文学にとって一種のゲテモノであり、別格である。」 とすでに発言している、我々も研究者・大人の評価はゲテモノだと いうところに立ち返るべきだ……。次に原子朗氏 より、子どもの本が売れないというが昔も同じだ ったという指摘あり。また当時の童話は短編だっ たため、詩に限りなく近づかざるをえなかつたと いう指摘も貴重。最後の発言者は、本日のテーマ とはズレたところから語りはじめた。賢治への敬愛 をぜひ伝えたかったのだろう。 打ち切るに打ち切られずはらはらしたが、あの人は、 おじいさんになった鳥捕りの男だったのだと、 あとで気づいた。

(理事宮城県仙台市)