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宮沢賢治学会・会報第39号 | |
そして八月のなかばになると、オリザの株はみんなそろつて穂を出し、その穂のー枝ごとに小さな白い花か咲き、花はだんだん水いろの籾にかはつて、風にゆらゆら波をたてるやうになりました。 (「グスコーブドリの伝記」より) |
第39号●オリザ 2009年9月21日発行
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「山山の……」のこと 入沢康夫
「山山の……」と書いただけで、賢治童話をよく読み込んでおいでの方なら、「ああ、『十月の末』に出てくる《山山のへっぴり伯父》のことだな」とすぐ思い付かれることでしょう。正解です。 《へっぴり爺》は、さまざまな細部の違いを含みながらも、日本全国に語り伝えられている昔話のひとつですが、いまここで問題にしたいのは、その昔話の(かなり尾能な)内容ではなくて、「山山の」という限定語についてです。 これを考える上で、非常に参考になると思われますのは、柳田国男『昔話と文学』(一九三七)所収の「竹伐り爺」という論考です。その一部を、ところどころ省略しながら新字・新仮名で次に引用してみましょう。 「私などの覚えているのは、/はい日本一のへこき爺でござります。/そんなら一つこいてみい。/こういう問答が交えられたことになっている。(中略)昔話の中では別に日本一の花咲爺というのがある。(中略)さらに桃太郎の日本一の黍団子に至っては何か日本一なのか実は誰にも説明が出来ない。(中略) 奥州の方へ行くとこれがまた大分かわっている。岩手県では胆沢・稗貫・紫波三郡三処の話が、ともに「山々の屁っぴりおんぢでござる」といい、老姐夜譚に出ている上閉伊の例では「なみなみのへっぴり爺」となっている。(中略)青森県の津軽地方に行っても、やはり「まいまいの屁ふりおやぢです」または「前の前のへふりぢいこだしヤ」とも名乗るものがあって、この「前の前の」も、かの「並々」も共に尻鳴の功名によって長者となり得た話が、決して突如として発明せられたものでなく、やはり挑太郎の黍団子同様に、久しい伝統に依拠することを示すからである。(以下略)」 右の文中の「奥州の方へ行くと」以下の数行に、特に注目して下さい。柳田国男の論考は、これらの「なみなみの」「山々の」などは、さらには「挑太郎」の「日本一の黍団子」や、もっと古くは「竹取物語」中の和歌の「よゝの(代々の、世々の)竹取」の、「日本一の」や「よゝの」とも、用法上一脈通じる、由緒を持った限定語であることを示唆していて、大いに興味をひかれます。 話を「十月の末」に戻してみますと、「山山のへっぴり伯父」の語は、次の二箇所に現れ、削除部分にも一箇所あります。 A「なにしたど。爺んご取っ換へるど。それよりもうなのごと山山のへっぴり伯父さ呉でやるべが。」 B「あ、山山のへっぴり伯父。」嘉ツコがいきなり西を指さしました。西根の山山のへっぴり伯父は月光に青く光って長々とからだを横たへました。 C(初期形では、パートを分ける*印の直前、つまり昼間のパートの末尾に次の文があったが、推敲の過程で削除されている)/二人は そっと西根山の方を見ました。それは西根の山脈でした。山山のへっぴり伯父が青く光って長々と寝そべってゐるのでした。 これらの「へっぴり伯父」は、昔話に出てくる「屁ひり爺」とは、もはやかなりその性質を異にしていて、Aでは何か恐ろしい、たとえば山男のような存在が思い描かれ、そして BCにいたっては巨人化され、「西根の山山」(西方につらなる奥羽山脈)そのものに同化されています。「山山の」という限定語は昔話のそれと形は同じでありながら、ここではそれが賢治の幻視力の働きを受けて、用法上も新しい、妖しい光を放ち始めている、と言えるのではないでしょうか。 もしもそうであるとすれば、『宮洋賢治語彙辞典』の項目名も、将来の改定時には、現行の「へっぴり伯父」ではなく、「山山のへっぴり伯父」として右のような特質を踏まえて増補されてもいいという気がいたします。
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| 【報告】 |
第19回 宮沢賢治賞イーハトーブ賞決まる 第19回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞は、先の理事会におきまして次のとおり承認され、花巻市より発表されました。 受賞された方々にお喜びを申し上げますとともに、これからのますますのご活躍をご祈念いたします。 経過及び選考理由について宮沢賢治学会イーハトーブセンター賞選考委員会 委員長 斉藤 征義 選考対象については会員の推薦と選考委員会の推挙により、選考会議は三回行った。 《宮沢賢治賞》選考対象は四十一点。 本賞の吉本隆明氏は、すでに戦後最大の思想家、知の巨人と称せられ、その思想は多くの人々に影響を与えているが、▽几八九年『宮沢賢治』論(筑摩書房)を刊行。賢治のいう「ほんとうの考えと、うその考えと分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる」ことを「わたしの思想にとっても永続的な課題のひとつにほかならない」と述べている。賢治への関心と洞察の深さは、多くの評論でも言及し、長いあいだ研究活動を続けてきた。このたび氏の講演活動が『吉本隆明五十度の講演』(二〇〇八年、糸井重里事務所)として刊行され、賢治についての貴重な講演も収録されているところから、これを機にこれまでの活動と業績に対しての顕彰となった。 奨励賞の岡村民夫氏は『イーハトーブ温泉学』(二〇〇八年、みすず書房)を刊行し、賢治の生涯と作品を「温泉文化に育まれた想像力の発露」として、多くの資料と現地調査によって解き明かした。ユニークな文学環境論であると同時に花巻温泉郷の新しい観光価値をも発見できるものとして評価された。 《イーハトーブ賞》選考対象は三十点。 本賞となる活動対象はなかった。 奨励賞の桑島法子氏は、二〇〇一年にNHKテレビのスタジオゲストで「雨ニモマケズ」を朗読して以来、声優として賢治作品を朗読、CDやDVDによって多くのファンを得ている。とくにライブ活動、「朗読夜・ろうどくや」のライフワークが評価され今後への期待がこめられた。 ■宮沢賢治賞吉本 隆明 □宮沢賢治の考えと所業を「わたしの思想にとっても永続的な課題のひとつ」ととらえ、永年にわたり賢治研究、評論活動を続ける。戦後最大の思想家とよばれる知的活動は、時代と社会と人々に多くの影響を四与えている。『吉本隆明五十度の講演』(2008年)刊行を機に、その業績に対して。 ■宮沢賢治賞奨励賞岡村 民夫 □ 賢治の生涯と作品を花巻の「温泉文化」に育まれた視点と領域を、文献研究とフィールドワークによって解く『イーハトーブ温泉学』(2008年)の刊行とその研究に対して。 ■イーハトーブ賞該当なし ■イーハトーブ賞奨励賞桑島 法子 □ 声優活動の中で宮沢賢治の作品をライフワークとして朗読やライブ活動を続け、DVD『イーハトーブ朗読紀行』(2003年)の刊行等その熱意ある活動に対して。
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受賞者の略歴と
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【宮沢賢治賞】
■吉本 隆明(よしもと たかあき)氏 1924年東京都月島生まれ。東京工業火工学部卒。1953年詩集『転位のための十篇』で荒地新入賞を受賞。「文学者の戦争責任」、「転向論」などで、戦前プロレタリア文学の是非や非転向者の価値を認めない主張は、政治と芸術運動をめぐる戦後最重要の論争といわれた。 60年安保闘争後、雑誌『試行』を創刊、『言語にとって美とは何か』、『共同幻想論』、『心的現象論』などを発表して「自立の思想」を主張、丸山真男との知識人論争や吉本自らの「転向」を示した80年代の埴谷雄高との左翼文化理念議論、消費社会と巡動した『マス・イメージ論』、『ハイ・イメージ論』など常に変動する社会現象をとらえ、サブ・カルチャー分野での活動とともに学生や大衆に幅広く読まれ支持された。 国家、宗教と科学、文学から漫画にいたるまでその領域の広さと発言は現在も影響が大きい。小林秀雄賞、藤村記念歴程賞など。 ●主な著書 『抒情の論理』(未来社 1959年)、『擬制の終焉』(1962年)、『模写と鏡』 (春秋社、1964年 2008年)、『高村光太郎』 (春秋社 1966年、講談社文芸文庫 1991年)、『言語にとって美とはなにか』 (勁草書房 1965年、角川文庫、角川ソフィア文庫)、『共同幻想論』(河出書房新社 1968年、角川文庫1982年)、『宮沢賢治』(筑摩書房 1989年、ちくま学芸文庫 1996年)、『西行論』 (講談社文芸文庫 1990年)『マチウ書試論・転向論』(講談社 1990年)、『情況への発言』 (徳回書店 1968年)、『最後の親鸞』 (春秋社 198 1年、ちくま学芸文庫 2002年)など。全集及び対談集、全詩集、資杵築も発刊されている。 【宮沢賢治賞奨励賞】
■岡村 民夫(おかむら たみお)氏 1961年、横浜生まれ。1989年、ジュネーブ大学文学部留学(スイス政府給費留学)。1997年、立教大学大学院文学研究科単位取得満期退学(フランス文学専攻)。同年、法政大学第一教養部専任講師に着任。現在は同大学目際文化学部教授。2004〜2008年宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事。 ●主な著書 『旅するニーチェ リゾートの哲学』(白水社 2004年)、『イーハトーブ温泉学』(みすず書房 2008年)、共著:『『注文の多い料理店』考−イーハトヴからの風信』(五柳書院 1995年)、『映画史を学ぶクリティカル・ワーズ』 (フィルムアート社 2003年)、『スイス』(河出書房新社 2007年)、『宮沢賢治 驚異の想像力−その源泉と多様性』(朝文社 2008年)、翻訳:マルグリット・デュラス『デュラス、映画を語る』(みすず書房 2003年)、共 訳:ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』(法政大学出版局 2006年)ほか。 所属学会 宮沢賢治学会イーハトーブセンター、日本フランス語フランス文学会、スイス史研究会、日本温泉文化研究会。 【イーハトーブ賞】■該当なし 【イーハトーブ奨励賞】
■桑島 法子(くわしま ほうこ)氏 岩手県金ヶ崎町出身。青二塾15期卒塾。1996年にTVアニメ「機動戦艦ナデシコ」ミスマル・ユリカ役でデビュー。主な出演作として「彩雲目物語」(紅秀麗)、「電脳コイル」(大沢勇子)、「エレメントハンター」 (ホ々`・ナンディ)、「犬夜叉」(珊瑚)など多数。 2001年から宮沢賢治作品の朗読ライブ「朗読夜〜ろうどくや」を関東近郊を中心に開催。2008年、念願のふるさと公演を奥州市で行う。声優活動の傍ら、自身のライフワークと位置づけている。 ●主な業績 2001年 NHKBS−2「お1い日本、今日はとことん岩手県」スタジオゲスト。「雨ニモマケズ」朗読。 ■宮沢賢治賞
■イーハトーブ賞
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| イーハトーブ〈保存〉学 |
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| 投稿エッセイ |
「小岩井農場」の詩句の解釈について −鶯とハンス−高橋 進 平成十八年十二月「風のセミナー」で「小岩井農場」の講義を原子朗先生から受けた。日本で一番長い詩だとのことであった。以前に読んだ時は、退屈し、いっぺんに読み終えることが出来なかったが、この講義により大分わかってきたつもりになった。しかし、細かいところでは、まだ理解できないところが、ままある。この二年、その思いで、いつか調べてみよう、そのためには、先ず、小岩井に行って見よう、と、思いながら時間が過ぎた。しかし、その時を待っていたのでは何時になるかわからなくなってきたので、とりあえず、地道に一字一句、理解しようと初心に帰って読み直した。その結果、一箇所だけ判ってきた。パート一の例のハンスのところである。 以下、結論だけ。 「鶯もごろごろ啼いてゐる」遠くでは雷がごろごろ鳴っている。 「その透明な群青のうぐひすが」雷を鶯に喩えた事を読者に暗に知らせるために、ここで、この鶯の色が透明(光=稲妻)であることを告げる。即ち、やはり鶯は雷である。 「(ほんたうの鶯の方はドイツ読本のハンスがうぐひすでないよと云った)」しかし、雷を鶯に喩えることが、あまりにもとっぴな比喩かもしれないと賢治は自省したので、ドイツ語の読本のハンス (ハンス・アンデルセンか、それとも、ドイツの物語に出てくる正直者のハンス(たとえば、「裸の王様」「金の斧」等に登場する))なら、そのような飛躍しすぎの比喩を認めない(書かない)だろう、と、言う意味の補足をし、言い訳がましく、飛躍ぎみの比喩の事実を読者に公表したのか、しなかったのか。 以上で、この部分の詩句の意味が整理されたのではないだろうか。このように解釈して来ると、パート二の「たむぽりんも遠くのそらで鳴ってるし」に、視線が向う。その部分は、天沢氏によれば、「これはどこか遠くからタンバリンを思わせる音がきこえてきた事の隠喩表現ではなくて、実際にはその音は聞こえないけれどもどうしても遠くの空でタンバリンが鳴っているような気がしてしかたがなかった」…「イメージである以上現実音の不在を前提とする」(宮沢賢治研究叢書(1)『春と修羅研究2』所収「小岩井から……小岩井へ……」四十五頁)と、解されているが、私見によれば、パート一での飛躍気味の比喩を、ここでは軌道修正、もしくは詩人としての感性からか、彼の真意は不明であるが、とにかく、雷を「たむぽりん」と別な表現で比喩したものだろう。 そして、これら一巡の比喩を「現実音」の雷と解することにより、パート七の「雨のつぶ」や「すっかりぬれた 塞い がたがたする」とうまく結びつく。現実音は、初めは遠くに存在していたが、パート七では賢治にまで降りかかってきた雨に変わったのである。 次にまた、別の見方をすれば、何故、飛躍しすぎの比喩「鶯」を取り消して「たむぽりん」に統一しなかったのだろうか。全くの推測だが、賢治は「その透明な群青のうぐひすが」という表現がものすごく気に入ったのだろうと思う。その表現をしたときは、きっと、勝ち誇った気持ちになったのだろう。自分以外、誰がこのような表現を考え付くのだろうか、と。だから、その表現を生かした。しかし、パート二まで、その表現を続けることまでは出来なかった。やはり、彼にとっても、「鶯」の比喩は大きな冒険だったのだろう。少し自省し、逡巡しながら、括弧書の曖昧な注釈をつけた。 いや、それとも、近付きつつある雷に対し、比喩を変えることが、更にこの詩を高めたことだったのか。 (岩手県花巻市)
<暁のモティーフ>とオルゴール佐藤 泰平 詩「風景とオルゴール」は、『春と修羅』第一集最後の詩群「風景とオルゴール」の中の第四番目の詩(一九二三、九、一六)である。詩の題が詩群の題にもなっていることから、この時は詩群全体を統括する中心的な存在、と考える。〈暁のモティーフ〉は時「風景とオルゴール」の五十二行目後半の部分にある。現存するこの詩の詩集印刷用原稿の五十二行目に最初、賢治は〈ひときれそらにうかぶウヰリアムテル暁のモティーフ〉と書いた。しかしその後の推敲過程で、四募四場の犬歌劇の曲名〈ウヰリアムテル〉を消し、右脇にその歌劇の作曲者〈ロシニ〉を入れた(注1)。賢治は曲名よりも作曲者の名前を読者に伝えたかったのかもしれない。 この〈暁のモティーフ〉とは、G・ロッシーニ (一七九二〜一八六八)の歌劇「ウイリアム・テル」(一八二九年)の有名な序曲・第一部「夜明け」の主題と考えられる。〈暁のモティーフ〉と聞いただけで「ウイリアム・テル序曲」第一部「夜明け」のチェロによる出だしを思い出せる人はいいのだが、すぐには思い出しにくい読者への回接的なヒントとして〈ロシニ〉を生かしてほしかった。『春と修羅』の初版本には入っていない。〈ロシニ〉の脱落が印刷所の見落としか、賢治の校正ミスか、あるいは賢治の黙認なのかどうかは分からない。 序曲は起承転結の四部構成。歌劇の内容を暗示・象徴している。次に、第二部を除き、各部の主題を引用する(注2)。一九一六年発売のビクターレコードの番号も記しておく。 第一部 Andante At Dawn 夜明け V-17815A 譜例(1)
第二部 Allegro The Storm 嵐 V-17815B 第三部 Andante The Calm 静寂 V-18012A 譜例(2)
第四部 Allegro Vivace Finale スイス軍の更新 V-18012B 譜例(3)
譜例(1)はチェロのソロによる五重奏の冒頭部。夜明け前の冷たさと静謐、近景のほの暗い丘や湖、遠景の山々の色彩などが微妙に変化していく様子をチェロ群で描いていく。 以前、栗原敦氏(注3)からご教示いただいたおかげで、私も岩手県立図書館のマイクロフィルムから『岩手毎日新聞』大正十四年七月十一日・十二日のコピーを入手できた。花巻農学校・佐藤政丹の名前で「岩手山紀行」(上)(下)が掲載されている。次の部分は十二日(日)の新聞からの抜粋である。 お鉢廻りを逆にして黎明二時半頂上に来た東の地平と雲との境一筋繞る暗い瑞瑞の環それは次第に光を増しかがやき燃えて光芒を射やがてとけたやうな太陽がゆらぎのぽったときわれわれはわれら幾百代の祖先たちのなしたやうに掌をうち冥想した、背後はおゝ兄よそれこそロシニのウヰリアムテル序典スヰッツルの夜明けの景色でないか、その桔梗色や緑にかすんだ山々の向ふに、寂しく銀を戴いた富士の形の鳥海山も見えた。 この紀行文は花巻農学校生徒三十八名が、宮沢・堀籠・阿部の三教諭に引率され、大正十四年七月四日・五日に岩手山に登山したときの様子を詳細に記したものである。 〈ロシニ暁のモティーフ〉と岩手山頂上での夜明けとをこのように書けるのは賢治だけだと思うのだが…。時差があるにせよ、音楽が介在してスイスと岩手の夜明けがスパークするのだ。大自然から詩人への最高のプレゼントだったと思う。 賢治の教え子から聞いた話も紹介する。その方は花巻農学校農五回生(大正十五年三月卒)の佐藤栄作氏。一九九六年十月二十五日、私が栄作氏宅をお訪ねしたときのお話である。 賢治先生はね。授業中にね。職員室からラッパ付きの蓄音機を教室に運んでくるんですよ。そしてスイッツルの夜明けのレコードをかけて下さるんです。説明つきでね。その説明がとても上手でね。私の目の前にスイッツルの山や湖などの風景が拡がるんです。うっとりしながらレコードを聴いていましたよ。何回か同じレコードをかけてくれました。 生徒たちに聴かせたSPレコードは多分、前述したアメリカ・ビクター盤の十吋の二枚組だろう。演奏はビクター・コンサートオーケストラ。賢治によるそのレコード鑑賞がもし、岩手山登山前のレディネスの一環だったとしたらすごいことである。 さて、〈ひときれ…〉から六行あとに〈(オルゴールをかけろかけろ)〉とある。その繰り返しには何か異様な緊迫感がある。いったいこの〈オルゴール〉は何の曲なのだろうか、と考え始めたのは昨年(二〇〇八年)の十一月頃からである。岡山市で十三年回、スイス・リュージュ社専門のオルゴール店のオーナーだった友人・村上章子氏に「ウイリアム・テル序曲」のオルゴールをお聴きになったことありますか、と電話しだのは二〇〇九年一月のことだった。すると「あります。持っています。おかけしましょうか」とのお返事で私は本当に驚いた。ねじを巻く音がして行進曲(語例(3))が始まった。即座にこれは〈(オルゴールをかけろかけろ)〉の音楽ではないだろうか、と思ったのである。 村上氏のオルゴールはリュージュ社製造の新しいシリンダー・オルゴール。ただし、一九〇〇年頃の同社製の精密なレプリカなので、音楽の編曲は全く同じと思う、と説明して下さった。櫛歯は一四四本でロッシーニの序曲が三曲人っている。一曲目が「ウイリアム・テル序曲」だった。村上氏のオルゴールがきっかけで賢治の頃のオルゴール「ウイリアム・テル序曲」を探し始めた。天童オルゴール博物館には一八九〇年頃製造のメルモド・フレール社(スイス) のシリンダー・オルゴールがあった。櫛歯は一二三本。語例(3)である。他に二種、どちらも語例(2)だった(解説・大場るみ子氏)。東京・文京区にある「オルゴールの小さな博物館」では一ハ八八年代製造、ニコール・フレール社(スイス)のシリンダー・オルゴールの「ウイリアム・テル序曲」を聴いた(同館制作のCD「オペラの調べ」所収)。語例(1)(2)(3)が続いている。 私が聴いたオルゴールについて同館長・名付義人氏が書かれた『オルゴールは夢仕掛』(音楽之友社、一九八九年十一月)の中に説明文がある。同館マネージャー・名付明日子氏の了承を得たのでその一部を引用しよう。 オーヴァチュア・ボックス(一八八八年・スイス、ニコール・フレール) シリンダー径八cm、長さ三〇・五cmの櫛歯に一九三本の歯が極めて繊細に刻まれている。(中略)この機種が製造された一八八八年にはすでにディスク・オルゴールが登場し、市場ではシリンダー・オルゴールと競合していたときであった。一八三〇年代から一八四〇年代にかけて登場したシリンダー・オルゴールは、その当時人々に最も人気のあったオペラの序曲を収録していた。それ故、初期のこの種のオルゴールを「オーヴァチュア・ボックス」と総称する。 オルゴールを詩語にした賢治はどこかで上質な本物の音を聴いていたのだと思う。詩群「風景とオルゴール」のオルゴールを詩「風景とオルゴール」の中にだけ閉じ込めておきたくない。視覚(風景)によって聴覚(オルゴール)が刺戟を受け、同時に聴覚によって視覚が甦る。まさに霊気による呼応の境地…というのは言い過ぎだろうか。私は『春と修羅』第一乗を交響曲的詩集と考えたい。とすれば時評「風景とオルゴール」は最終の第五楽章となる。詩「不貪慾戒」から始まり。〈葬送行進曲〉や言シニ暁のモティーフ〉を通過し、〈ラツグの音譜をばら撒き〉ながら〈あゝJosef Pasternack の指揮する〉の終曲へと、風が巻き起こす渦の中を進んで行く。 詩「風景とオルゴール」の前後の四つの詩の日付が一九二三年九月十六日。その四つの詩の共通項は「激しい風」である。参考までに十五日と十六日の水沢での気象記録から必要と思われる記録を記しておこう(注4)。なお、詩集印刷用原稿の五十二行目〈暁〉をαの記号で囲んでいるのに気がついた。朱で記したそれは朝焼け・夕焼けの現象記号である。本来は縦にδと書くのだが、意図的に横に曲げて書いたように見える(誰が書いたものか不明であるが、賢治自身が記入したのかもしれない)。
(注1)詩「風景とオルゴール」の詩集印刷用原稿のカラーコピー (注2)『名曲解説全集』第三巻(音楽之友社。一九五九年二月)二〇八頁 (注3)栗原敦「大正十四年七月四日・五日の記」(『賢治研究』第四十二号、一九八七年一月 (注4)横にした理由は、〈ウヰリアムテル〉の〈テル〉を邪魔しないように記入したと考える。そうであるなら圏点等の記入が先で、その後に〈ロシニ〉や〈見当のつかない…〉等の手入れがなされた、と推測できよう。
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夏季特設セミナー
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今回のセミナーは歌人の佐藤通雅氏をコーディネーターに「賢治短歌の魅力を探る」をテーマに開催されました。賢治といえば、童話と詩が有名で、これまで短歌はあまり注目されておりませんでしたが、最近になってその重要性が認められるようになっております。
今回のセミナーは、これまでの賢治短歌の研究を振り返るとともに、さらに研究者の目だけではなく現役歌人の穂村弘氏、東直子氏をむかえ、新しい視点で賢治短歌にふれてみました。
参加された皆様は二日間をとおして、賢治短歌の魅力と、今後の更なる可能性を充分に感じたのではないでしょうか。早くも第2弾の開催を望む声もちらほらと聞こえております。
また二日目の最後に行われた「方言による賢治作品の朗読」は、短歌を含めた7作品を披露していただきました。こちらもたいへん好評で、普段はあまり聞くことのできない賢治作品の魅力を生で味わえたかと思います。
この7作品を含めた「方言による賢治作品の朗読」については、宮沢賢治学会研究活動の記録集として発行されておりますので、お求めをご希望の方は事務局までお問い合わせください。
コーディネーター 佐藤 通雅 氏(宮沢賢治学会理事、歌人)8月8日(土)13:30〜
1.基調報告 佐藤 通雅 氏
2.講 話・歌稿〔A〕、歌稿〔B〕の成立をめぐって 杉浦 静 氏(宮沢賢治学会代表理事、大妻女子大学教授)
・『アザリア』時代の賢治短歌―保阪嘉内作品と比べながら 望月 善次 氏(盛岡大学学長)
3.懇親会 山猫軒
8月9日(日)9:20〜
4.鼎談
・佐藤 通雅 氏
・穂村 弘 氏(歌人)
・東 直子 氏(歌人)
5.方言による賢治作品の朗読
11:40〜12:10
花巻方言音声資料収集委員(宮沢賢治学会研究活動事業)