宮沢賢治学会・会報第39号

 そして八月のなかばになると、オリザの株はみんなそろつて穂を出し、その穂のー枝ごとに小さな白い花か咲き、花はだんだん水いろの籾にかはつて、風にゆらゆら波をたてるやうになりました。

(「グスコーブドリの伝記」より)


第39号●オリザ
2009年9月21日発行
  1. 「山山の……」のこと 入沢康夫
  2. 第19回宮沢賢治賞イーハトーブ賞決まる
  3. 受賞者の略歴と業績
  4. イーハトーブ〈保存〉学 同人誌「アザリア」保存の取り組み 秦 博志
  5. 投稿エッセイ
  6. 宮沢賢治資料44新発見口語詩草稿一点
  7. 春季セミナー「光太郎と賢治・花巻」
  8. 夏季特設セミナー「賢治短歌の魅力を探る」

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「山山の……」のこと

入沢康夫

 「山山の……」と書いただけで、賢治童話をよく読み込んでおいでの方なら、「ああ、『十月の末』に出てくる《山山のへっぴり伯父》のことだな」とすぐ思い付かれることでしょう。正解です。

 《へっぴり爺》は、さまざまな細部の違いを含みながらも、日本全国に語り伝えられている昔話のひとつですが、いまここで問題にしたいのは、その昔話の(かなり尾能な)内容ではなくて、「山山の」という限定語についてです。

 これを考える上で、非常に参考になると思われますのは、柳田国男『昔話と文学』(一九三七)所収の「竹伐り爺」という論考です。その一部を、ところどころ省略しながら新字・新仮名で次に引用してみましょう。

「私などの覚えているのは、/はい日本一のへこき爺でござります。/そんなら一つこいてみい。/こういう問答が交えられたことになっている。(中略)昔話の中では別に日本一の花咲爺というのがある。(中略)さらに桃太郎の日本一の黍団子に至っては何か日本一なのか実は誰にも説明が出来ない。(中略)
 奥州の方へ行くとこれがまた大分かわっている。岩手県では胆沢・稗貫・紫波三郡三処の話が、ともに「山々の屁っぴりおんぢでござる」といい、老姐夜譚に出ている上閉伊の例では「なみなみのへっぴり爺」となっている。(中略)青森県の津軽地方に行っても、やはり「まいまいの屁ふりおやぢです」または「前の前のへふりぢいこだしヤ」とも名乗るものがあって、この「前の前の」も、かの「並々」も共に尻鳴の功名によって長者となり得た話が、決して突如として発明せられたものでなく、やはり挑太郎の黍団子同様に、久しい伝統に依拠することを示すからである。(以下略)」

 右の文中の「奥州の方へ行くと」以下の数行に、特に注目して下さい。柳田国男の論考は、これらの「なみなみの」「山々の」などは、さらには「挑太郎」の「日本一の黍団子」や、もっと古くは「竹取物語」中の和歌の「よゝの(代々の、世々の)竹取」の、「日本一の」や「よゝの」とも、用法上一脈通じる、由緒を持った限定語であることを示唆していて、大いに興味をひかれます。

 話を「十月の末」に戻してみますと、「山山のへっぴり伯父」の語は、次の二箇所に現れ、削除部分にも一箇所あります。

A「なにしたど。爺んご取っ換へるど。それよりもうなのごと山山のへっぴり伯父さ呉でやるべが。」
B「あ、山山のへっぴり伯父。」嘉ツコがいきなり西を指さしました。西根の山山のへっぴり伯父は月光に青く光って長々とからだを横たへました。
C(初期形では、パートを分ける*印の直前、つまり昼間のパートの末尾に次の文があったが、推敲の過程で削除されている)/二人は  そっと西根山の方を見ました。それは西根の山脈でした。山山のへっぴり伯父が青く光って長々と寝そべってゐるのでした。

 これらの「へっぴり伯父」は、昔話に出てくる「屁ひり爺」とは、もはやかなりその性質を異にしていて、Aでは何か恐ろしい、たとえば山男のような存在が思い描かれ、そして BCにいたっては巨人化され、「西根の山山」(西方につらなる奥羽山脈)そのものに同化されています。「山山の」という限定語は昔話のそれと形は同じでありながら、ここではそれが賢治の幻視力の働きを受けて、用法上も新しい、妖しい光を放ち始めている、と言えるのではないでしょうか。

 もしもそうであるとすれば、『宮洋賢治語彙辞典』の項目名も、将来の改定時には、現行の「へっぴり伯父」ではなく、「山山のへっぴり伯父」として右のような特質を踏まえて増補されてもいいという気がいたします。



【報告】
第19回 宮沢賢治賞イーハトーブ賞決まる

第19回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞は、先の理事会におきまして次のとおり承認され、花巻市より発表されました。

受賞された方々にお喜びを申し上げますとともに、これからのますますのご活躍をご祈念いたします。


経過及び選考理由について

宮沢賢治学会イーハトーブセンター賞選考委員会 委員長 斉藤 征義

 選考対象については会員の推薦と選考委員会の推挙により、選考会議は三回行った。

《宮沢賢治賞》

 選考対象は四十一点。

 本賞の吉本隆明氏は、すでに戦後最大の思想家、知の巨人と称せられ、その思想は多くの人々に影響を与えているが、▽几八九年『宮沢賢治』論(筑摩書房)を刊行。賢治のいう「ほんとうの考えと、うその考えと分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる」ことを「わたしの思想にとっても永続的な課題のひとつにほかならない」と述べている。賢治への関心と洞察の深さは、多くの評論でも言及し、長いあいだ研究活動を続けてきた。このたび氏の講演活動が『吉本隆明五十度の講演』(二〇〇八年、糸井重里事務所)として刊行され、賢治についての貴重な講演も収録されているところから、これを機にこれまでの活動と業績に対しての顕彰となった。

 奨励賞の岡村民夫氏は『イーハトーブ温泉学』(二〇〇八年、みすず書房)を刊行し、賢治の生涯と作品を「温泉文化に育まれた想像力の発露」として、多くの資料と現地調査によって解き明かした。ユニークな文学環境論であると同時に花巻温泉郷の新しい観光価値をも発見できるものとして評価された。

《イーハトーブ賞》

 選考対象は三十点。

 本賞となる活動対象はなかった。

 奨励賞の桑島法子氏は、二〇〇一年にNHKテレビのスタジオゲストで「雨ニモマケズ」を朗読して以来、声優として賢治作品を朗読、CDやDVDによって多くのファンを得ている。とくにライブ活動、「朗読夜・ろうどくや」のライフワークが評価され今後への期待がこめられた。

■宮沢賢治賞

吉本 隆明

□宮沢賢治の考えと所業を「わたしの思想にとっても永続的な課題のひとつ」ととらえ、永年にわたり賢治研究、評論活動を続ける。戦後最大の思想家とよばれる知的活動は、時代と社会と人々に多くの影響を四与えている。『吉本隆明五十度の講演』(2008年)刊行を機に、その業績に対して。

■宮沢賢治賞奨励賞

岡村 民夫

□ 賢治の生涯と作品を花巻の「温泉文化」に育まれた視点と領域を、文献研究とフィールドワークによって解く『イーハトーブ温泉学』(2008年)の刊行とその研究に対して。   


■イーハトーブ賞

該当なし



■イーハトーブ賞奨励賞

桑島 法子

□ 声優活動の中で宮沢賢治の作品をライフワークとして朗読やライブ活動を続け、DVD『イーハトーブ朗読紀行』(2003年)の刊行等その熱意ある活動に対して。


受賞者の略歴と
業績

【宮沢賢治賞】

■吉本 隆明(よしもと たかあき)氏

 1924年東京都月島生まれ。東京工業火工学部卒。1953年詩集『転位のための十篇』で荒地新入賞を受賞。「文学者の戦争責任」、「転向論」などで、戦前プロレタリア文学の是非や非転向者の価値を認めない主張は、政治と芸術運動をめぐる戦後最重要の論争といわれた。

 60年安保闘争後、雑誌『試行』を創刊、『言語にとって美とは何か』、『共同幻想論』、『心的現象論』などを発表して「自立の思想」を主張、丸山真男との知識人論争や吉本自らの「転向」を示した80年代の埴谷雄高との左翼文化理念議論、消費社会と巡動した『マス・イメージ論』、『ハイ・イメージ論』など常に変動する社会現象をとらえ、サブ・カルチャー分野での活動とともに学生や大衆に幅広く読まれ支持された。

 国家、宗教と科学、文学から漫画にいたるまでその領域の広さと発言は現在も影響が大きい。小林秀雄賞、藤村記念歴程賞など。

●主な著書

 『抒情の論理』(未来社 1959年)、『擬制の終焉』(1962年)、『模写と鏡』 (春秋社、1964年 2008年)、『高村光太郎』 (春秋社 1966年、講談社文芸文庫 1991年)、『言語にとって美とはなにか』 (勁草書房 1965年、角川文庫、角川ソフィア文庫)、『共同幻想論』(河出書房新社 1968年、角川文庫1982年)、『宮沢賢治』(筑摩書房 1989年、ちくま学芸文庫 1996年)、『西行論』 (講談社文芸文庫 1990年)『マチウ書試論・転向論』(講談社 1990年)、『情況への発言』 (徳回書店 1968年)、『最後の親鸞』 (春秋社 198 1年、ちくま学芸文庫 2002年)など。全集及び対談集、全詩集、資杵築も発刊されている。

【宮沢賢治賞奨励賞】

■岡村 民夫(おかむら たみお)氏

 1961年、横浜生まれ。1989年、ジュネーブ大学文学部留学(スイス政府給費留学)。1997年、立教大学大学院文学研究科単位取得満期退学(フランス文学専攻)。同年、法政大学第一教養部専任講師に着任。現在は同大学目際文化学部教授。2004〜2008年宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事。

●主な著書

 『旅するニーチェ リゾートの哲学』(白水社 2004年)、『イーハトーブ温泉学』(みすず書房 2008年)、共著:『『注文の多い料理店』考−イーハトヴからの風信』(五柳書院 1995年)、『映画史を学ぶクリティカル・ワーズ』 (フィルムアート社 2003年)、『スイス』(河出書房新社 2007年)、『宮沢賢治 驚異の想像力−その源泉と多様性』(朝文社 2008年)、翻訳:マルグリット・デュラス『デュラス、映画を語る』(みすず書房 2003年)、共 訳:ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』(法政大学出版局 2006年)ほか。

 所属学会 宮沢賢治学会イーハトーブセンター、日本フランス語フランス文学会、スイス史研究会、日本温泉文化研究会。

【イーハトーブ賞】

■該当なし

【イーハトーブ奨励賞】

■桑島 法子(くわしま ほうこ)氏

 岩手県金ヶ崎町出身。青二塾15期卒塾。1996年にTVアニメ「機動戦艦ナデシコ」ミスマル・ユリカ役でデビュー。主な出演作として「彩雲目物語」(紅秀麗)、「電脳コイル」(大沢勇子)、「エレメントハンター」 (ホ々`・ナンディ)、「犬夜叉」(珊瑚)など多数。

 2001年から宮沢賢治作品の朗読ライブ「朗読夜〜ろうどくや」を関東近郊を中心に開催。2008年、念願のふるさと公演を奥州市で行う。声優活動の傍ら、自身のライフワークと位置づけている。

●主な業績

2001年 NHKBS−2「お1い日本、今日はとことん岩手県」スタジオゲスト。「雨ニモマケズ」朗読。
2001年 CDアルバム 『Flores〜死者への花束〜』(ビクターエンタテ イメント)発売。「原作剣舞巡」朗読を収録。
2003年 IBC開局50周年記念制作「桑島法子のイーハトーブ朗読紀行」出演。「銀河鉄道の夜」他賢治詩を朗読。
2006年 プラネタリウム番組「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」(脚本 CG:KAGAYA)で朗読を担当。今年、盛岡市 こども科学館でも上映。


■宮沢賢治賞

【主催者】
花巻市
【選 考】
宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事会
【選考方法】
会員からの推薦(所定の用紙)にもとづき、賞選考委員会が選考し、理事会の承認を経て花巻市長に答申する。
【選考対象及び基準】
宮沢賢治の名において顕彰されるにふさわしい研究・評論・創作など。おおむね過去三年以内に発表されたものを対象とする。なお、本賞に準ずるものとして奨励賞を置く。
【贈賞式】
宮沢賢治学会イーハトーブセンター総会の同日・同会場において行う。
【賞・賞金】
本 賞 賞状、正賞、副賞(百万円)
奨励賞 賞状、記念品、副賞(三十万円)

■イーハトーブ賞

【主催者】
花巻市
【選 考】
宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事会
【選考方法】
会員からの推薦(所定の用紙)にもとづき、賞選考委員会が選考し、理事会の承認を経て花巻市長に答申する。
【選考対象及び基準】
宮沢賢治の名において顕彰されるにふさわしい実践的な活動を行った個人または団体。なお、本賞に準ずるものとして奨励賞を置く。
【贈賞式】
宮沢賢治学会イーハトーブセンター総会の同日・同会場において行う。
【賞・賞金】
本 賞 賞状、正賞、副賞(百万円)
奨励賞 賞状、記念品、副賞(三十万円)。


イーハトーブ〈保存〉学


同人誌「アザリア」保存の取り組み

秦 博志


 二〇〇七年に河本組石研究会より河本家に残された資料群について保存処置の依頼を受けた。その中から同人誌「アザリア」の作業を紹介する。

(写真1)(写真1)

 河本家に残っていた「アザリア」は1号、2号、4号、5号の4冊でボール紙の表紙を付けて針金で一冊にまとめられていた。(写真1)4号のみ判型が大きく二つに祈り畳まれていた。今に残るこの形は組石の手によるものであるが、構造に問題があると思われた。研究会の方々と協議した結果、合冊された状態では利用が困難であること、また現状の形態が資料に過度の負担を与えていること、針金綴じの腐食は紙にも悪影響を及ぼすことから、合冊はしないことを確認して修理及び保存処置を行った。表紙や針金は現状写真と共に保存し、現在まで伝わった形態をなぞれるようにした。(写真2修理後)

(写真2修理後)(写真2修理後)

 本文は謄写版による片面印刷で、1号、2号、5号は二つに祈って右側を真鎗の金具で袋綴じ、4号は祈らずに右側が綴じであるため頁の裏面は無地となっている。発行部数は同人に配布するだけだったが、号毎に表紙デザインや使われる紙が変えてあり、細部にもこだわりが感じられる作りになっている。

 1号は表紙、本文とも同じ和紙が使われていたが、表紙には雲母(キラ)引きされている。和紙は保存性が高く、目立った傷みもないが、内部に液体をこはしたようなシミが広がり、文字が読めなくなっていたので水洗いを行い、元の金具で綴じた。

 2号は和紙、洋紙が混在していた。洋紙は茶色く変色し、酸性劣化の兆候が見られた。近代以降、紙が大量生産されるようになって酸性物質が紙に残留するようになり、紙の寿命が極端に短いものとなった。俗に「和紙1000年、洋紙100年」といわれる所以である。消費材としての紙なら仕方のないことであるが、文化遺産の寿命が100年というので大問題となっている。この問題に対し、劣化原因である酸を中和(脱酸処理)して延命させようという取り組みが世界中で行われている。「アザリア」についても水性洗浄後に脱酸処理を行った。脱酸処理によって酸性徴の寿命を5倍以上延ばすことが出来るという実験データがある。

 4号は祈り畳まれていた部分からボロボロに崩れていくような状態であった。(写真3)

(写真3)(写真3)

 酸性劣化により強度を失った紙に物理的な力が加わると最後は粉々になってしまう。漉き嵌めという技法で新しい紙繊維を流し込み、欠損部及び周囲を補強した後、裏打ち、脱酸処理を行って仕上げた。(写真4)

(写真4)(写真4)

 5号の表紙は凝ったデザインになっている。(写真5)

(写真5)(写真5)

 紺色のインター色刷りだが謄写版の文字とローラーによる直接技法を組み合せ、微妙なハーフトーンの色合いに仕上げられている。手順としてはまずタイトル文字をネガ、ポジ2種類の版で作り、3箇所にアザリアと印刷する。最終的に残す中央部のタイトルを四角く紙で覆い、ローラーの濃淡を変えて文字の上から縞模様になるようにインクを載せていく。ローラーの下の文字は翁がかかったような効果となる。随分と試行錯誤を繰り返したのではないだろうか。遊びを含んだ絵画的手法といえるかも知れない。ちなみに4号と5号のデザインはこれまで図録等に紹介されてきたデザインとは追っているが、この5号の作り方であれば一点一点すべて違う可能性もある。

 作業は洗浄、脱酸処理を行った。また、5号の最終頁に細い紙片がはさまれていたが、調べてみると4号、録石の句の一部であった。(写真6)

(写真6)(写真6)

 おそらく「アザリア」を合冊するときにサイズの大きい4号の左端を切り落として体裁を整えたのであろう。しかし、うっかり自分の句を切り落としたことに気づき、とりあえずその部分だけ挟んでおいたものと思われた。この紙片は4号の修理の際に元の位置に戻した。(写真7)

(写真7)(写真7)

 以上簡単に「アザリア」の保存処置を紹介した。近年では可能な限り現状を尊重しつつ、化学的な劣化要因の見極め、保存環境や構造的な負担を軽減するなど、単に傷んだ箇所を修理するだけではなく総合的な判断が求められている。ゆっくりと、しかし確実に紙を蝕んでいる酸性紙の問題は資料保存のあり方を大きく変えた。積極的に保存に取り組まなければ失われるものがあまりに大きいからである。

(修復家・文化財保存修復学会会員・河本緑石研究会会員)



投稿エッセイ

「小岩井農場」の詩句の解釈について −鶯とハンス−

高橋 進


 平成十八年十二月「風のセミナー」で「小岩井農場」の講義を原子朗先生から受けた。日本で一番長い詩だとのことであった。以前に読んだ時は、退屈し、いっぺんに読み終えることが出来なかったが、この講義により大分わかってきたつもりになった。しかし、細かいところでは、まだ理解できないところが、ままある。この二年、その思いで、いつか調べてみよう、そのためには、先ず、小岩井に行って見よう、と、思いながら時間が過ぎた。しかし、その時を待っていたのでは何時になるかわからなくなってきたので、とりあえず、地道に一字一句、理解しようと初心に帰って読み直した。その結果、一箇所だけ判ってきた。パート一の例のハンスのところである。

 以下、結論だけ。

 「鶯もごろごろ啼いてゐる」遠くでは雷がごろごろ鳴っている。

 「その透明な群青のうぐひすが」雷を鶯に喩えた事を読者に暗に知らせるために、ここで、この鶯の色が透明(光=稲妻)であることを告げる。即ち、やはり鶯は雷である。

 「(ほんたうの鶯の方はドイツ読本のハンスがうぐひすでないよと云った)」しかし、雷を鶯に喩えることが、あまりにもとっぴな比喩かもしれないと賢治は自省したので、ドイツ語の読本のハンス (ハンス・アンデルセンか、それとも、ドイツの物語に出てくる正直者のハンス(たとえば、「裸の王様」「金の斧」等に登場する))なら、そのような飛躍しすぎの比喩を認めない(書かない)だろう、と、言う意味の補足をし、言い訳がましく、飛躍ぎみの比喩の事実を読者に公表したのか、しなかったのか。

 以上で、この部分の詩句の意味が整理されたのではないだろうか。このように解釈して来ると、パート二の「たむぽりんも遠くのそらで鳴ってるし」に、視線が向う。その部分は、天沢氏によれば、「これはどこか遠くからタンバリンを思わせる音がきこえてきた事の隠喩表現ではなくて、実際にはその音は聞こえないけれどもどうしても遠くの空でタンバリンが鳴っているような気がしてしかたがなかった」…「イメージである以上現実音の不在を前提とする」(宮沢賢治研究叢書(1)『春と修羅研究2』所収「小岩井から……小岩井へ……」四十五頁)と、解されているが、私見によれば、パート一での飛躍気味の比喩を、ここでは軌道修正、もしくは詩人としての感性からか、彼の真意は不明であるが、とにかく、雷を「たむぽりん」と別な表現で比喩したものだろう。

 そして、これら一巡の比喩を「現実音」の雷と解することにより、パート七の「雨のつぶ」や「すっかりぬれた 塞い がたがたする」とうまく結びつく。現実音は、初めは遠くに存在していたが、パート七では賢治にまで降りかかってきた雨に変わったのである。

 次にまた、別の見方をすれば、何故、飛躍しすぎの比喩「鶯」を取り消して「たむぽりん」に統一しなかったのだろうか。全くの推測だが、賢治は「その透明な群青のうぐひすが」という表現がものすごく気に入ったのだろうと思う。その表現をしたときは、きっと、勝ち誇った気持ちになったのだろう。自分以外、誰がこのような表現を考え付くのだろうか、と。だから、その表現を生かした。しかし、パート二まで、その表現を続けることまでは出来なかった。やはり、彼にとっても、「鶯」の比喩は大きな冒険だったのだろう。少し自省し、逡巡しながら、括弧書の曖昧な注釈をつけた。

 いや、それとも、近付きつつある雷に対し、比喩を変えることが、更にこの詩を高めたことだったのか。

(岩手県花巻市)


<暁のモティーフ>とオルゴール

佐藤 泰平


 詩「風景とオルゴール」は、『春と修羅』第一集最後の詩群「風景とオルゴール」の中の第四番目の詩(一九二三、九、一六)である。詩の題が詩群の題にもなっていることから、この時は詩群全体を統括する中心的な存在、と考える。〈暁のモティーフ〉は時「風景とオルゴール」の五十二行目後半の部分にある。現存するこの詩の詩集印刷用原稿の五十二行目に最初、賢治は〈ひときれそらにうかぶウヰリアムテル暁のモティーフ〉と書いた。しかしその後の推敲過程で、四募四場の犬歌劇の曲名〈ウヰリアムテル〉を消し、右脇にその歌劇の作曲者〈ロシニ〉を入れた(注1)。賢治は曲名よりも作曲者の名前を読者に伝えたかったのかもしれない。

 この〈暁のモティーフ〉とは、G・ロッシーニ (一七九二〜一八六八)の歌劇「ウイリアム・テル」(一八二九年)の有名な序曲・第一部「夜明け」の主題と考えられる。〈暁のモティーフ〉と聞いただけで「ウイリアム・テル序曲」第一部「夜明け」のチェロによる出だしを思い出せる人はいいのだが、すぐには思い出しにくい読者への回接的なヒントとして〈ロシニ〉を生かしてほしかった。『春と修羅』の初版本には入っていない。〈ロシニ〉の脱落が印刷所の見落としか、賢治の校正ミスか、あるいは賢治の黙認なのかどうかは分からない。

 序曲は起承転結の四部構成。歌劇の内容を暗示・象徴している。次に、第二部を除き、各部の主題を引用する(注2)。一九一六年発売のビクターレコードの番号も記しておく。

第一部 Andante  At Dawn  夜明け V-17815A

譜例(1)

譜例(1)

第二部 Allegro  The Storm 嵐   V-17815B

第三部 Andante  The Calm 静寂  V-18012A

譜例(2)

譜例(2)

第四部 Allegro Vivace Finale スイス軍の更新 V-18012B

譜例(3)

譜例(3)

 譜例(1)はチェロのソロによる五重奏の冒頭部。夜明け前の冷たさと静謐、近景のほの暗い丘や湖、遠景の山々の色彩などが微妙に変化していく様子をチェロ群で描いていく。

 以前、栗原敦氏(注3)からご教示いただいたおかげで、私も岩手県立図書館のマイクロフィルムから『岩手毎日新聞』大正十四年七月十一日・十二日のコピーを入手できた。花巻農学校・佐藤政丹の名前で「岩手山紀行」(上)(下)が掲載されている。次の部分は十二日(日)の新聞からの抜粋である。

お鉢廻りを逆にして黎明二時半頂上に来た東の地平と雲との境一筋繞る暗い瑞瑞の環それは次第に光を増しかがやき燃えて光芒を射やがてとけたやうな太陽がゆらぎのぽったときわれわれはわれら幾百代の祖先たちのなしたやうに掌をうち冥想した、背後はおゝ兄よそれこそロシニのウヰリアムテル序典スヰッツルの夜明けの景色でないか、その桔梗色や緑にかすんだ山々の向ふに、寂しく銀を戴いた富士の形の鳥海山も見えた。

 この紀行文は花巻農学校生徒三十八名が、宮沢・堀籠・阿部の三教諭に引率され、大正十四年七月四日・五日に岩手山に登山したときの様子を詳細に記したものである。

 〈ロシニ暁のモティーフ〉と岩手山頂上での夜明けとをこのように書けるのは賢治だけだと思うのだが…。時差があるにせよ、音楽が介在してスイスと岩手の夜明けがスパークするのだ。大自然から詩人への最高のプレゼントだったと思う。

 賢治の教え子から聞いた話も紹介する。その方は花巻農学校農五回生(大正十五年三月卒)の佐藤栄作氏。一九九六年十月二十五日、私が栄作氏宅をお訪ねしたときのお話である。

 賢治先生はね。授業中にね。職員室からラッパ付きの蓄音機を教室に運んでくるんですよ。そしてスイッツルの夜明けのレコードをかけて下さるんです。説明つきでね。その説明がとても上手でね。私の目の前にスイッツルの山や湖などの風景が拡がるんです。うっとりしながらレコードを聴いていましたよ。何回か同じレコードをかけてくれました。

 生徒たちに聴かせたSPレコードは多分、前述したアメリカ・ビクター盤の十吋の二枚組だろう。演奏はビクター・コンサートオーケストラ。賢治によるそのレコード鑑賞がもし、岩手山登山前のレディネスの一環だったとしたらすごいことである。

 さて、〈ひときれ…〉から六行あとに〈(オルゴールをかけろかけろ)〉とある。その繰り返しには何か異様な緊迫感がある。いったいこの〈オルゴール〉は何の曲なのだろうか、と考え始めたのは昨年(二〇〇八年)の十一月頃からである。岡山市で十三年回、スイス・リュージュ社専門のオルゴール店のオーナーだった友人・村上章子氏に「ウイリアム・テル序曲」のオルゴールをお聴きになったことありますか、と電話しだのは二〇〇九年一月のことだった。すると「あります。持っています。おかけしましょうか」とのお返事で私は本当に驚いた。ねじを巻く音がして行進曲(語例(3))が始まった。即座にこれは〈(オルゴールをかけろかけろ)〉の音楽ではないだろうか、と思ったのである。

 村上氏のオルゴールはリュージュ社製造の新しいシリンダー・オルゴール。ただし、一九〇〇年頃の同社製の精密なレプリカなので、音楽の編曲は全く同じと思う、と説明して下さった。櫛歯は一四四本でロッシーニの序曲が三曲人っている。一曲目が「ウイリアム・テル序曲」だった。村上氏のオルゴールがきっかけで賢治の頃のオルゴール「ウイリアム・テル序曲」を探し始めた。天童オルゴール博物館には一八九〇年頃製造のメルモド・フレール社(スイス) のシリンダー・オルゴールがあった。櫛歯は一二三本。語例(3)である。他に二種、どちらも語例(2)だった(解説・大場るみ子氏)。東京・文京区にある「オルゴールの小さな博物館」では一ハ八八年代製造、ニコール・フレール社(スイス)のシリンダー・オルゴールの「ウイリアム・テル序曲」を聴いた(同館制作のCD「オペラの調べ」所収)。語例(1)(2)(3)が続いている。

 私が聴いたオルゴールについて同館長・名付義人氏が書かれた『オルゴールは夢仕掛』(音楽之友社、一九八九年十一月)の中に説明文がある。同館マネージャー・名付明日子氏の了承を得たのでその一部を引用しよう。

 オーヴァチュア・ボックス(一八八八年・スイス、ニコール・フレール)  シリンダー径八cm、長さ三〇・五cmの櫛歯に一九三本の歯が極めて繊細に刻まれている。(中略)この機種が製造された一八八八年にはすでにディスク・オルゴールが登場し、市場ではシリンダー・オルゴールと競合していたときであった。一八三〇年代から一八四〇年代にかけて登場したシリンダー・オルゴールは、その当時人々に最も人気のあったオペラの序曲を収録していた。それ故、初期のこの種のオルゴールを「オーヴァチュア・ボックス」と総称する。

 オルゴールを詩語にした賢治はどこかで上質な本物の音を聴いていたのだと思う。詩群「風景とオルゴール」のオルゴールを詩「風景とオルゴール」の中にだけ閉じ込めておきたくない。視覚(風景)によって聴覚(オルゴール)が刺戟を受け、同時に聴覚によって視覚が甦る。まさに霊気による呼応の境地…というのは言い過ぎだろうか。私は『春と修羅』第一乗を交響曲的詩集と考えたい。とすれば時評「風景とオルゴール」は最終の第五楽章となる。詩「不貪慾戒」から始まり。〈葬送行進曲〉や言シニ暁のモティーフ〉を通過し、〈ラツグの音譜をばら撒き〉ながら〈あゝJosef Pasternack の指揮する〉の終曲へと、風が巻き起こす渦の中を進んで行く。

 詩「風景とオルゴール」の前後の四つの詩の日付が一九二三年九月十六日。その四つの詩の共通項は「激しい風」である。参考までに十五日と十六日の水沢での気象記録から必要と思われる記録を記しておこう(注4)。なお、詩集印刷用原稿の五十二行目〈暁〉をαの記号で囲んでいるのに気がついた。朱で記したそれは朝焼け・夕焼けの現象記号である。本来は縦にδと書くのだが、意図的に横に曲げて書いたように見える(誰が書いたものか不明であるが、賢治自身が記入したのかもしれない)。

詩「風景とオルゴール」の詩集印刷用原稿のカラーコピー

(注1)詩「風景とオルゴール」の詩集印刷用原稿のカラーコピー


(注2)『名曲解説全集』第三巻(音楽之友社。一九五九年二月)二〇八頁

(注3)栗原敦「大正十四年七月四日・五日の記」(『賢治研究』第四十二号、一九八七年一月

(注4)横にした理由は、〈ウヰリアムテル〉の〈テル〉を邪魔しないように記入したと考える。そうであるなら圏点等の記入が先で、その後に〈ロシニ〉や〈見当のつかない…〉等の手入れがなされた、と推測できよう。


宮沢賢治資料44


新発見口語詩草稿一点

栗原 敦


新発見口語詩草稿一点

 新たに発見された口語詩草稿一点(無題作品なので、第一行を〔 〕でくくって標題といたします)の写真を掲げ、読み解きによる本文および校異を添えます。

 本草稿は、昨平成二十年五月の解体に備えて整理中の宮沢家土蔵から発見されたものです。いかなる経緯でか、梁の上部に置かれたまま気づかれずにあったということですが、戦災による火災をくぐり抜けた貴重な賢治作品草稿の出現でした。お知らせを受けて、平成二十一年三月刊の『新校本宮澤賢治全集』別巻補遺篇に収録することができましたが、ご遺族のご好意により、あらためて本学会会員の皆様に紹介する次第です。

   〔停車場の向ふに河原があって〕

停車場の向ふに河原があって
水がちよろちよろ流れてゐるとわたしもおもひきみも云ふ
ところがどうだあの水なのだ
上流でげい美の巨きな岩を
碑のやうにめぐったり
滝にかかって佐藤猊〔ー〕先生を
幾たびあったがせたりする水が
停車場の前にがたびしの自働車が三台も居て
運転手たちは日に照らされて
ものぐささうにしてゐるのだが
ところがどうだあの自働車が
ここから横沢へかけて
傾配つきの九十度近いカーブも切り
径一尺の赤い巨礫の道路も飛ぶ
そのすさまじい自働車なのだ

《校異》

《現存稿》一。

下書稿、一枚一面。

《本文》下書稿の最終形態に拠る。

《逐次形》

下書稿

 本稿の第一形態は、五万分の一「水沢」地図(大正二年測図同五年製版大日本帝国陸地測量部のものと推定)の裏面に鉛筆で書かれたもの。地図の周囲四方は罫の外を数ミリ残してきれいに切り取られており、現状は縦三八・四p、横四四・七p。図を内にして縦・横をそれぞれ四つ折りにし、裏面の左上部に地図から切り取ったと見られる表題「水沢」の部分が貼り込まれ、その下部、折り目によって十六分割された最も左方の中央の二分割部分に、本稿が走り書き風に記されている。内容は次のとおり。

停車場の〔前→○削〕〔を→○削〕向ふに河原があって
水がちよろちよろ流れてゐると
〔〔?〕→○削〕わたしもおもひきみも云ふ
ところがどうだあの水なのだ
上流で〔〔?〕→○削〕げい美の巨きな岩を
碑のやうにめぐったり
滝にかかって佐藤猊〔ー〕(ーと誤記)先生を
幾たびあったがせた〔こ→削〕りする水が
停車場〔〔?〕→の(上書き)〕前に〔→がたびしの〕自働車が三台も居て
〔→運転手たちは〕日に照らされて〔(なし)→、(改行の意)〕
ものぐささうにしてゐるのだが
ところがどうだあの自働車〔が〕
〔か→○削〕こゝから横沢へかけて
(右下方余白に導線を引いて記入)傾配つきの〔二十→削〕九十度近い
カー〔ぶ→○削〕ブも切り
〔直(書きかけ)→○削〕径一尺の〔→赤い〕巨礫(右下方余白に導線を引いて記入)の道路も飛ぶ
そのすさまじい自働車なのだ

 以上の手入れ結果を右頁下段の読み解き、本文に掲げた。

 なお、5行目の「げい美」は「厳美」または「猊鼻」のことであろう。猊鼻渓と厳美渓が交錯したものか。7行目「ー」(ガン。岩・巌・巖に同じ。嵒と同字)は〔ー〕と記されているが、「ー」の誤記と推定した。佐藤猊(猊巖とも)には、『東北絶勝 猊鼻渓勝誌』(大正三年七月二十五日、発行兼編輯人佐藤軍司)、『絶勝 猊鼻渓遊覧案内』(大正八年十月二十日、猊鼻書院)の著編書がある。

 14行目の「傾配」は「傾斜」「勾配」などの交錯によるか。

 また、本文が記入された下方に天地を逆にして、赤鉛筆による以下の記入がある。

White lime Stone over the river
NS 75

(東京都国分寺市)


投稿エッセイ


詩人の足音は遠く

太田 隆夫


たゞしばし群とはなれて阿武隈の岸にきたればこほろぎなけり 宮澤賢治※

日溜りに 秋が過ぎていく気配が汲みとれるこの日の川は
ゆたかな水量を 誰に誇示するということもなく
川幅いっぱいに 仄白い遊離の波を揉みあわせながら
少しも意識や体験など 気にしない表情を漂わせ
私が佇んでいる足元に 流れる法悦を溢れさせている
ポケットにメモ帳を持ってきた 単純な私の動機を
すっかり忘れさせる 川の鮮やかな覚醒と輝き

あの日二十歳の宮澤賢治は 沢山の作品を内に秘めて
確かにこの川を臨む場所に 心象を紡いで佇っていた
幼ないころから慣れ親しんできた 北上川の脹らむ光彩に
初めて見る阿武隈川の水の翳を相乗させるため
ひとり駅を離れ 見知らぬ町角を通りぬけてきていた

大正五年の十月 盛岡高等農林学校生徒の宮澤賢治は
山形市で開かれていた 奥羽連合共進会の状況の
校友会会報の取材で 福島まわりの汽車を利用して向い
乗り換えの間隙を見はからって 駅から町へ出た
駅舎の庇の左に 信夫山も見えたが川を目指した

心なごむ南部富士の岩手山ほどの山容はないけれど
歌枕に知られていた信夫山の印象も 嬉しいものだが
すでに盛岡を出発のとき 乗り換え時間を胸算用していて
賢治は 阿武隈川の川面へ心が急かされていたから
ひたすら川が見える場所まで 人に聞いた通り歩いた

そのころこの町は 南奥羽に位置する県庁所在地の背景もあって
十年前に「福島市」と標榜したばかりの 若い小都市だった
私は宮澤賢治が 阿武隈川へと心ときめかせて歩いた
福島駅からのひそかな足どりを尋ねているけれど
横たわる時間の距離をこえる言霊〔ことだま〕のありかは希薄なまま

阿武隈川を見た場所から 足早に戻った賢治の心象に あたらしい律動が息づきはじめたことを想像して 私はこの日しばらく躯に川波のざわめきを浴び 川幅いっぱいに 茫茫とひしめく水量の眩しさの中で 川の鮮やかな覚醒と輝き その果ての陽炎〔かげろう〕を掬っている

※『新校本宮澤賢治全集・第一巻』所収
―『二〇〇七 福島県現代詩集』07・5・31刊発表一部改稿―

(福島県福島市)


報告


春季セミナー「光太郎と賢治・花巻」

二〇〇九年五月十六日・十七日


 今年の宮沢賢治春季セミナーは五月十六日と十七日の二日間にわたり講話、対談などを中心に開催されました。二〇〇八年八月よりイーハトーブ館にて開催中の「高村光太郎展」に関連したテーマで、一月には同展示の開催記念行事が行われたばかりでしたが、今回はこちら花巻を中心とした賢治と光太郎の魅力に迫るセミナーとなりました。

 また折沼田植踊保存会の皆様による郷土芸能の披露や、高村光太郎記念会の協力のもと高村山荘(花巻市太田)へのエクスカーションなども行われました。

初 日

1.講 話

吉田 精美 氏(宮沢賢治・花巻市民の会)

長尾 建 氏(高村光太郎展実行委員会)

2.対 談  

宮澤 潤子 氏

聞き手 森  三紗 氏

3.郷土芸能 

「田植え踊り」(折沼田植踊保存会)

4.懇親会(希望者)

会 場 山猫軒

二日目

◆エクスカーション

案内 高村光太郎記念会、宮沢賢治・花巻市民の会

行 程

8:20 イーハトーブ館駐車場 集合
8:30 イーハトーブ館 発
8:45 花巻駅 発
9:15 高村光太郎山荘 着
 ※9:20〜10:00 説明
10:00〜 自由見学
10:55 高村山荘駐車場集合
11:00  〃発
11:20 円万寺観音 着
 ※説 明
11:50 円万寺観音 発
12:15 花巻駅 着
12:30 イーハトーブ館 着

報告


夏季特設セミナー
「賢治短歌の魅力を探る」

二〇〇九年八月八日・九日


 今回のセミナーは歌人の佐藤通雅氏をコーディネーターに「賢治短歌の魅力を探る」をテーマに開催されました。賢治といえば、童話と詩が有名で、これまで短歌はあまり注目されておりませんでしたが、最近になってその重要性が認められるようになっております。

 今回のセミナーは、これまでの賢治短歌の研究を振り返るとともに、さらに研究者の目だけではなく現役歌人の穂村弘氏、東直子氏をむかえ、新しい視点で賢治短歌にふれてみました。

 参加された皆様は二日間をとおして、賢治短歌の魅力と、今後の更なる可能性を充分に感じたのではないでしょうか。早くも第2弾の開催を望む声もちらほらと聞こえております。

 また二日目の最後に行われた「方言による賢治作品の朗読」は、短歌を含めた7作品を披露していただきました。こちらもたいへん好評で、普段はあまり聞くことのできない賢治作品の魅力を生で味わえたかと思います。

 この7作品を含めた「方言による賢治作品の朗読」については、宮沢賢治学会研究活動の記録集として発行されておりますので、お求めをご希望の方は事務局までお問い合わせください。

コーディネーター 佐藤 通雅 氏(宮沢賢治学会理事、歌人)

初 日

8月8日(土)13:30〜

1.基調報告   佐藤 通雅 氏

2.講 話・歌稿〔A〕、歌稿〔B〕の成立をめぐって 杉浦 静 氏(宮沢賢治学会代表理事、大妻女子大学教授)
・『アザリア』時代の賢治短歌―保阪嘉内作品と比べながら 望月 善次 氏(盛岡大学学長)

3.懇親会 山猫軒

二日目

8月9日(日)9:20〜

4.鼎談 
・佐藤 通雅 氏
・穂村 弘 氏(歌人)
・東 直子 氏(歌人)

5.方言による賢治作品の朗読
11:40〜12:10
花巻方言音声資料収集委員(宮沢賢治学会研究活動事業)