宮沢賢治学会・会報第43号

らかな空明のなかを/たえずさびしく/湧き鳴り ながら/よもすがら南十字へながれる水よ/…… 水よわたくしの胸いっぱいの/やり場のないかな しさを/はるかなマジェランの星座へとゞけてく れ

―「薤露青」より―


第43号●薤露青
2011年9月21日発行
  1. 伊勢の神宮と宮沢賢治 網野 品(ひとし)
  2. 第21回宮沢賢治賞イーハトーブ賞決まる
  3. 受賞者の略歴と業績
  4. イーハトーブ〈災害〉学 情熱(パッション)から受苦(パッション)へ 浜垣 誠司
  5. 投稿エッセイ
  6. 宮沢賢治学会イーハトーブセンター春季・夏季合同セミナー

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伊勢の神宮と宮沢賢治

網野 品(ひとし)

 大正十年一月二十三日、賢治(二十五才)は店番中に日蓮遺文集が棚から落ちてきて背中を打ち家出を決行し、上京して国柱会を訪ねました。国柱会は日蓮宗の僧侶で宗門を改革しようとして布教を熱心にし、また社会的にたいへんな活動をした田中智学が組織した団体ですが、宮沢賢治は田中智学の法華経論を読んで衝撃をうけ大正九年十月(二十四才)に入会し、篤信生活に入っていきます。賢治は上京した二日目、明治神宮に参拝、三日目に小さな出版社に就職し、国柱会の熱信な信仰生活を続けていきました。父親宮沢政次郎は日蓮が最も否定的に批判した浄土真宗の花巻での有力な信仰者でした。賢治は家出をした後も父親からの手紙に復命しています。母のこと、妹トシのこと、信仰のこと、そして賢治の希望を丁寧に父親に書き送っています。家出をした賢治が何故父親に手紙を書き送ったのでしょうか。

 日蓮は、父母は自分が子になったときに父母としてつくられるが法華経に出逢うのは難しい、遭いやすい父母の言葉に背いて、遭い難い法華経の友に離れなければ、わが身は仏になるだけではなく、背いた親をも導くことができる。悉達太子は父、浄飯王の心に背いて夜中に城を逃げ出し、不孝の子供だと父から恨まれたが、仏になって、先ず父母を仏道に導いた。親という親で、世を捨てて仏になれという親はひとりもない。これは、何やかにつけて人々を持律者や念仏者がわざと陥れようとして、親に奨めてそうさせるのである。これが日蓮の説いたところでした。

 大正九年賢治は盛岡高等農林学校研究生を修了し、なすところもなく家業の店番をするという生活をしていたのですが、いつかは浄飯王の城を夜逃げ出さなければ、と考えていたのでしょう。日蓮宗の聖典が棚から落ちてきて背中をうったのは偶然のことですが、そのことが賢治の心を決めたのでした。賢治が家を出たのは必然のことでした。大正十年四月には父が上京し、同行して伊勢の神宮、比叡山、法隆寺、奈良へと旅行をします。伊勢の神宮に参拝したときの賢治の短歌には賢治の率直な心を表した次のような作品があります。

伊勢
杉さかき 宝樹にそゝぐ 清とうの
雨をみ神に謝しまつりつゝ
かゞやきの雨をいたゞき大神の
み前に父とふたりぬかづかん
降りしきる雨のしぶきのなかに立ちて、
門のみ名など衛士は教へし
透明のいみじき玉を身に充てゝ五十鈴の川を
わたりまつりぬ
五十鈴川 水かさ増してあらぶれの人のこころも
きよめたまはん
みたらしの水かさまして埴土をながし
いよよきよきとみそぎまつりぬ
いすず川 水かさ増してふちに群るるいをのすがたを
けふは見ずかも
硅岩のましろき砂利にふり注ぐいみじき玉の雨にしあるかな
内宮
大前のましろきざりにぬかづきて、
たまのしぶきを身にあびしかな
五十鈴川 水かさ増してはにをながし
天雲ひくく杉むらを翔く
雲翔くるみ杉のむらをうちめぐり
五十鈴川かもはにをながしぬ

 どの歌も神宮参拝時の敬虔な気持ちが歌われています。神道の信仰は自然に対する天性の資質を持った賢治の霊性を育んでいったのだと思います。

 東日本大震災では岩手県も大きく被災しました。倒壊・流失した神社の復旧・復興と祭祀の継続を図ろうと多くの神職さん達が被災地で復旧活動、また避難所での食事の提供などの支援活動を続けております。賢治は少なくとも四度三陸海岸を訪れています。残酷な災いをもたらしたイーハトーブの海もきっと豊かな幸をもたらす日が甦るでしょう。

昭和23年 香川県大川郡志度町志度生まれ 生家は多和八幡宮
昭和48年 国学院大学文学部史学科卒業
同年   吉田神社(京都市左京区吉田神楽岡町)に奉職
     12年間神職として勤務
昭和60年 湯里住吉神社(大阪市東住吉区湯里)に禰宜として奉職
     現在に至る


【報告】
第21回 宮沢賢治賞イーハトーブ賞決まる

 第二一回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞は先の理事会におきまして次のとおり承認され、花巻市より発表されました。

 受賞された方々にお喜びを申し上げますとともに、これからのますますのご活躍をご祈念いたします。


経過及び選考理由について

宮沢賢治学会イーハトーブセンター賞選考委員会 委員長 秋枝 美保

選考対象については会員の推薦と選考委員会の推挙により、選考会議は二回おこなった。

《宮沢賢治賞》

 選考対象は二十三点。

 本賞の吉田文憲氏は、詩人としての創作とともに、様々な詩人を対象とする詩論にも精力的かつ継続的に取り組んできた。その中で宮沢賢治  妖しい文字の物語』(思潮社 二〇〇五年)では、賢治テクストに「一瞬たち顕れる不思議な文字のざわめき」を捉え、埋もれた化石を発掘するような深く緻密な考察を試みた。『宮沢賢治 幻の郵便脚夫を求めて』(大修館書店 二〇〇九年)では、賢治文学を、「郵便脚夫」の姿をした時空の旅人の配達する「不思議な光文字で書かれた匿名の《郵便(手紙)文学》ではないか」とし、賢治の文学的使命や「書くこと」の根源的な意味に光を当てた。詩人としての鋭い感性と独自の視点から、賢治文学の謎と魅力を探求した評論活動が高く評価された。

 奨励賞の信時哲郎氏は、一九九九年から一〇年以上にわたって学会誌やホームページに発表してきた「文語詩稿五十篇」の評釈を、二〇一〇年に『宮沢賢治『文語詩稿五十篇』評釈』(朝文社)として刊行した。その一貫した精緻な評釈作業の成果が、難解な文語詩の普及の足がかりとなるとともに、文語詩研究の促進につながる労作であることが顕彰の理由となった。

《イーハトーブ賞》

 選考対象は二十点。

 本賞は該当者なし。

 本年の《イーハトーブ賞》選考については、東日本大震災という未曾有の災害にあたり、賢治精神の評価が世の中に静かにひろがる中で、その選考のあり方をめぐって困難を極めた。災害のさなかで他者への配慮や思いやりから命を落とされた多数の方々、今まさに災害からの復興に我を忘れて取り組んでおられる多数の方々、復興のさなかで種々行われつつある賢治作品の新たな表現の試みなど、それら無数の活動の中にこそ賢治精神の継承があるというのが賞選考委員全員一致の意見である。そのような無数の方々こそ宮沢賢治の名において顕彰されるべきであると考え、特に今回、特定の個人や団体に対する本賞は該当者なしとした。

 奨励賞の安斉重夫氏は、福島大学在学中から彫刻を習い始め、一九七三年二紀展に入選、以来八年間連続入選。賢治生誕百年の二〇〇六年には盛岡で賢治にまつわる作品を中心に個展を開催、二〇一〇年には花巻での個展を強く願って自ら作品持参で来花、翌年にはイーハトーブ館での展示が実現した。長年にわたる賢治作品への強い思いとその作品に具現化された自然との共生の精神が、賢治精神 の継承と新たな展開であると認められての受賞である。

 奨励賞の川野目亭南天氏は、遠野市出身で、東北弁で落語を語る団体「東方落語」所属の落語家として東北地方を中心に絶大な人気を博している。東北弁を積極的に取り入れ、風土に根ざしたユーモアによって、庶民の生命力や哀歓を表現していることが賢治精神に 通じる地域文化の継承の実践として高く評価されたことが顕彰の理由である。

■宮沢賢治賞

吉田 文憲氏

『宮沢賢治 妖しい文字の物語』『宮沢賢治 幻の郵便脚夫を求めて』など、これまでの著作及び賢治作品の普及活動において、詩人としての鋭い感性と独自の視点から賢治文学の謎と魅力を探求した評論活動に対して。

■宮沢賢治賞奨励賞

信時 哲郎氏

 長年にわたる評釈の試みを集大成した『宮沢賢治「文語詩稿五十篇」評釈』において、「文語詩稿五十篇」の全体像を世に示した、地道かつ精緻な評釈作業に対して。


■イーハトーブ賞

該当なし



■イーハトーブ賞奨励賞

安斉 重夫氏

 幼少の頃から抱き続けた賢治作品の感動を、長年にわたる鉄の彫刻創作において表現 し続け、自然との共生の精神を具現化したその作品に対して。

■イーハトーブ賞奨励賞

川野目亭 南天氏

 東北弁で落語を語る団体「東方落語」の真打として活躍、特に賢治の風土の方言を積 極的に取り入れ、庶民の生命力や哀歓を表現している活動に対して。


受賞者の略歴と
業績

【宮沢賢治賞】

■吉田 文憲(よしだ  ふみのり)氏

 1947年11月5日生

【学歴・職歴・業績など】

1965年 秋田県立秋田高等学校卒業
1970年 早稲田大学第一文学部日本文 学専修卒業
雑誌編集、凸版印刷、塾講師等を経て、
1993年より大学で教えながら執筆活動に 専念する。早稲田大学文学部、政経学部で9年間、実践女子大で10 年間、聖心女子大で3年間、創作論、日本近代文学を論じる。
現在は1998年よりフェリス女学院大学にて児 童文学を、東京女子大にて創作論を文教大学 にて文学理論を講じている。

【著書】

宮沢賢治関係の著書

『宮沢賢治《幻の郵便脚夫を求めて》 』2009年 大修館書店
『宮沢賢治−妖しい文字の物語』2006年 思潮社

その他の著書

『原子野』2002年 砂子屋書房(晩翠賞受賞)

【宮沢賢治賞奨励賞】

■信時 哲郎(のぶとき てつろう)氏

 1963年12月3日生

【学歴・職歴・業績など】

1986年 上智大学文学部国文学科卒業
1986年 マギル大学(モントリオール) 東アジア研究所特別学生
1989年 上智大学大学院文学研究科国 文学専攻修士課程修了
1993年 上智大学大学院文学研究科国 文学専攻博士後期課程学位取得退学
1994年 神戸山手女子短期大学国文学 科専任講師
1999年 神戸山手大学人文学部環境文 化学科専任講師
2002年 神戸山手大学人文学部環境文 化学科助教授
2005年 甲南女子大学文学部日本語日 本文学科助教授
2008年 甲南女子大学文学部日本語日 本文学科教授(現在に至る)

【イーハトーブ賞】

■該当なし

【イーハトーブ奨励賞】

■安斉 重夫(あんざい しげお)氏

1948年12月5日生

【学歴・職歴・業績など】

1971年 福島大学卒業
1973年 二紀展初入選以降8年連続入選後退会
1994年 NHKテレビ「おはよう日本」 で全国放送される
    東北北海道選抜美術展出品 (盛岡市)
2002年 福島県総合美術展で準大賞
2003年 福島県総合美術展で県立美術館長賞
2005年 河北美術展で一力次郎賞

【イーハトーブ奨励賞】

■ 川野目亭 南天(かわのめてい なんてん)氏

1966年4月18日生

【学歴・職歴・業績など】

1982年 岩手県遠野市立遠野中学校卒業
1985年 岩手県立花巻南高等学校卒業
1989年 宮城学院女子大学学芸学部日本文学科卒業
1989年 日本道路交通情報センター入社
1990年 日本道路交通情報センター退社
    その後フリーとして活動開始
1997年 東方落語入門
2006年 真打ち昇進 独演会開催
2010年 落語芸術協会共催(現在は主催)魅知国(みちのく)仙台寄席出演
2010年 女性漫才コンビとの落語・漫 才コントの舞台「おなごすたぁず」開催
現在、毎月第2日曜日開催の東方落語定期寄席、毎月第1土曜日開催の魅知国仙台寄席、他学校の芸術鑑賞会、研修会、敬老会等、全国各地で公演。民謡番組や、ラジオカーのリポート等、ラジオ番組レギュラー出演中。


■宮沢賢治賞

【主催者】
花巻市
【選 考】
宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事会
【選考方法】
会員からの推薦(所定の用紙)にもとづき、賞選考委員会が選考し、理事会の承認を経て花巻市長に答申する。
【選考対象及び基準】
宮沢賢治の名において顕彰されるにふさわしい研究・評論・創作など。おおむね過去三年以内に発表されたものを対象とする。なお、本賞に準ずるものとして奨励賞を置く。
【贈賞式】
宮沢賢治学会イーハトーブセンター総会の同日・同会場において行う。
【賞・賞金】
本 賞 賞状、正賞、副賞(百万円)
奨励賞 賞状、記念品、副賞(三十万円)

■イーハトーブ賞

【主催者】
花巻市
【選 考】
宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事会
【選考方法】
会員からの推薦(所定の用紙)にもとづき、賞選考委員会が選考し、理事会の承認を経て花巻市長に答申する。
【選考対象及び基準】
宮沢賢治の名において顕彰されるにふさわしい実践的な活動を行った個人または団体。なお、本賞に準ずるものとして奨励賞を置く。
【贈賞式】
宮沢賢治学会イーハトーブセンター総会の同日・同会場において行う。
【賞・賞金】
本 賞 賞状、正賞、副賞(百万円)
奨励賞 賞状、記念品、副賞(三十万円)。


イーハトーブ〈災害〉学


情熱(パッション)から受苦(パッション)へ

浜垣 誠司


 賢治の生年に起こった明治三陸大津波の直後、父政次郎の弟である治三郎は、当時まだ珍しかった写真機器を携えて現地に入った。 宮澤清六「兄賢治の生涯」によれば、「夜道をかけて釜石に急行してその惨状写真を新聞社にも提供した」という。幼時からその写真アルバムを度々見ていたという賢治の心に、津波災害の情景が刻まれていなかったはずはない。

 さらに、賢治の没年の昭和三陸大津波の際には、今度は清六自身が「釜石に急行して罹災者を見舞った」という。くしくも宮沢家の次男は二代続けて、三陸津波直後に現地に飛んだわけである。

 これらの思い切った行動は、当時の三陸地方の交通事情や、ボランティアによる支援活動などまだ皆無だった状況を考えると、画期的なものと言えるだろう。賢治は、こういう家の空気を吸って育っていたのである。

     ※

 大規模な災害に直面して、かくも果敢に動き、対処する姿勢。ここで仮にこれを「積極行動主義」 と呼んでおくが、賢治の中にもあったであろうその種の志向性に、確固たる道筋をつけたのは、青年期に出会った法華経と自然科学だった。

 「グスコーブドリの伝記」では、 イーハトーブに迫る火山噴火や旱害、冷害などを、彼の分身とも言えるブドリが、科学技術の力によって克服していく。生身の賢治も、専門知識に基づいた肥料設計や作付指導により、これら災害の作物への影響を最小限に食い止めようと行動した。そして法華経は、彼がそのように農村に尽くしていく上で、常に魂の拠り所となっていた。

 ただ当時の科学と彼の献身的努力によっても、農業を襲う天災被害は、結局は抑えられなかった。 「〔もうはたらくな〕」で賢治は、為すすべもなく豪雨で稲が倒れていく田を前に、「働くことの卑怯なときが/工場ばかりにあるのでない」と、珍しく捨て鉢になりそうな一面も見せる。人間の力に限りがある以上、「積極行動主義」というものは、どこかで壁にぶつかる宿命を背負っているのだ。

     ※

 ここで賢治は、無力さを噛みしめただろう。しかし、絶望はしなかった。翻って彼が目ざしたのは、実効性を追求する科学技術とは、また対照的な方向だった。

 もしも教え子が目の前で溺れても、泳ぎの不得手な賢治には、救助はできない。そうなったら「たゞ飛び込んで行って一緒に溺れてやらう、死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらうと思ってゐた」と、彼は「イギリス海岸」に記している。また農業技術者として尽力した挙げ句、晩年の「〔雨ニモマケズ〕」には、「ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ」と書く。

 水難、旱害、冷害に対して、これらはすべて実質的に何の役にも立たない行動である。だから世間では、こんなことをする人を「デクノボー」と呼ぶかもしれない。それはただ、苦しんでいる人と共に苦しむという仕方で、人間の力を越えたものをありのままに受けとめるという態度である。

 おのれの無力さを心から受容した上でのこの「共苦」という姿勢は、自然災害を人間の力で「制御しよう」とする意志とは、言わば正反対のものである。それは現実的に何の効果もないように見えるが、実は人をエンパワーする力も秘めている。「死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」という行為は、何の治療にもならないし容易なことではないが、これこそがターミナル・ ケアの本質であるように。

 今回の震災後に、賢治があらためて注目されるようになった大きな要因は、彼の作品が持つこのような力のためではないだろうか。

     ※

 もしも賢治なら、今回のような災害に対して何を思い、どんな行動をとっただろうか。それを自らに問い続けることは、賢治を読む者一人一人に託された課題であろう。ただその作品や生き方を振り返ると、彼がこういう場面で見せる態度には、「積極行動主義」と「無力の自覚に立った共苦」という、対照的な二つの側面があったように感じるのである。

 ここでふと私は、彼が青年期に傾倒した日蓮と、それまで彼の宗教的基盤を成していた親鸞という、二人の偉大な仏教者のことも連想するのだが、これはまた別の話である。

(京都府京都市)



投稿エッセイ

銀河鉄道一巡り−いくつもの円環

酒井 早苗


  星座早見盤の北東の地平にカペラを探します。銀河ステーション北口の馭者座、ここから列車が走り出します。このとき南西の地平には蠍座があり、運命の南十字座は隠れています。見えない世界の物語が始まり、ジョバンニはダイヤの輝きに包まれます。馭者座、牡牛座、オリオン座、大犬座、小犬座、双子座の一等星をつなぐと現れる冬のダイヤモンド、ここが私の考えた銀河ステーションです。 馭者座のM36、37、38の星団もきらびやかさを添えます。カペラはゼウスに乳を与えた雌山羊で、乳の流れた跡である天の川を走る銀河鉄道の旅に相応しい舞台といえるのではないでしょうか。三次稿までは父性的なブルカニロがジョバンニの心の旅を導きます。この博士には牡牛座のイメージがあります。

 牡牛はブル、ブルカニロは牛を暗示します。そして他にも牛のイメージを持つ人々がいます。まず学校の先生は乳の流れた跡という天の川の説明をし、ジョバンニをそれとなく気遣います。プリオシン海岸の大学士は牛の先祖の化石を発掘し、ジョバンニに存在と時間の真理を語ります。鳥捕りは懐かしそうに微笑み、お菓子をくれますが、彼は生き物を捕らえる鷲であるアルタイルつまり牽牛で、古星図には鷲座の隣に牡牛座が設定されたこともありました。親切な口調の牧場の人の白いズボンは乳牛を思わせます。最後にカムパネルラの父親。ジョバンニの父とは親友で、ジョバンニに家へ来て下さいと声をかけます。彼が川岸に静かに佇む姿は、天の川の岸で双子座(ジョバンニとカムパネルラ)を見守る牡牛座を連想させます。彼らはジョバンニを精神的に導き、また現実的にも助けます。

 鳥捕りがジョバンニの父だと指摘されることがありますが、他の人々もまた父親的存在なのです。最終稿でブルカニロは姿を消すけれど、姿を変えジョバンニを見守るのです。賢治からのメッセージとは、人生で出会う人すべてがカムパネルラでありブルカニロであり、読者の私達はジョバンニということでしょう。何故なら私達はこの物語を読み終えて後、ジョバンニのように再び地上世界を生きていくからです。しかしそれは孤独な旅ではなく、愛する人と愛してくれる人と共に生きているのだと、賢治は言いたかったように思います。ところでジョバンニの父は帰らない気がします。鳥捕りの鉄砲に撃たれたような格好という描写が妙に気になってしまうのです。父は密猟の最中に撃たれ、海に落ちたのではないでしょうか。

 さて銀河鉄道は天の川を一周して再び銀河ステーションに帰ります。それは三次稿までの南十字座、マゼラン星雲、大犬座という描写から分かります。大きな空の円環。物語には幾つもの円環が見つけられます。天の川、冬のダイヤモンド、天の鷺の誕生と死、プレアデスと南のプレアデスから生まれたプレシオスの鎖、そして人々の死と転生輪廻という縁起の法則を説く仏教。プレシオスの鎖を解 くという言葉には、仏の教えを説くという意味が隠されているように思えるのです。銀河鉄道がソウルメイトつまり大切な人の魂との旅の後に再び還って来る意味がここにあるように思えるのです。

 銀河鉄道には十一の停車場があるようです。馭者座、ペルセウス、カシオペア、白鳥座、鷲座、盾座、射手座、ケンタウルス、南十字座、アルゴ船座、そして一角獣座これが銀河ステーション南口、と私なりに設定してみました。他にも色々な設定があると思いますが、ここに賢治の願いがあるように思えます。カペラのある馭者座には子供の健やかな成長、勇者ペルセウスの強さ、アルゴ船座は船乗りの息子でもあるジョバンニが人生の荒波を乗り越えていけるように、ケンタウルスの降らせる露は私達に注がれる聖なる天の力、これらは賢治が多くの作品に描いた透明な本当の食べ物なのでしょう。一角獣は幸運をもたらすとされ、肉眼で見えないけれどバラ星雲もあり、銀河を透明に包むバラや林檎の香りを感じます。この香りは「生徒諸君に寄せる」に書かれた、祝福された未来からの風であり、賢治の私達への愛の眼差しであると思うのです。

 一角獣の両側には大小二つの犬がいて、シリウスとゴメイザがあります。このうるんだような二つの星は空からの賢治の愛の眼差し、或いは天の父の涙ぐむ目のようです。また、牡牛座の和名は釣鐘星で、リンドウを連想させます。釣鐘型の花は他にもあって、美しい空を表すのに使われる桔梗、牧場裏の丘に咲いている釣鐘人参、また蛍が葉を透かして光っていて蛍ブクロも連想させます。賢治はリンドウをアマゾンストン(天河石)で刻まれた花とも書き、これら釣鐘型の花々が天上界に霊的なリンドウとして再生されているように思えます。この天のリンドウはカムパネルラや多くの人々の魂です。天の野原の風景は、愛し愛される(愛の円環)ソウルメイトの光でいっぱいなのです。それらを林檎のような良い香りの愛や涙で包むのは賢治言うところの宇宙意志、天の父なのでしょう。

 あらゆる生き物の幸福を願い「あなたのすきとほつたほんたうのたべもの」をもたらす天の父の涙、人々がそこは何も無く「がらん」としていると思っている時にも、林檎やバラの香りのように、しめやかな乳のように、星の露のように、「天の父の涙」は降ってきます。これが賢治の見ていた世界、世界観であり、また賢治の感じていた幸福なのではないでしょうか。「虔十公園林」「マグノリアの木」「十力の金剛石」「いてふの実」「インドラの網」などに〈愛の眼差しに包まれているという世界観〉を読むことができます。心象スケッチにも多くの描写があります。「[手は熱く足はなゆれど]」「[あすこの田はねえ]」「七一四 疲労」「生徒諸君に寄せる」「一八一 早池峰山巓」「三七五 山の晨明に関する童話風の構想」「一〇五三 おいけとばすな」「農民芸術概論綱要」など空からエネルギーを得る様子が生き生きと描かれます。賢治はそれを、私達も感じることで幸せになるようにと願っていたと思います。その願いを「風や草穂のいゝ性質があなたがたのこゝろにうつって見えるならどんなにうれしいかしれません」「あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません」と書きました。

 賢治が主張したこのような世界観を愛の円環の中で素直に受け止め、透明な心の糧とする必要性を強く感じています。

(栃木県宇都宮市)


賢治さんと往く・イーハトーブまごころ公演

菊池 善男


 林洋子さんは昨年「クラムボンの会30周年記念公演」として、(財)日本伝統文化振興財団、宮沢賢治学会イーハトーブセンター、国際交流基金等々の後援のもと「林洋子ひとり語り│宮沢賢治」を本郷の求道会館や柴又の帝釈天など7公演で精力的に上演した。

 その余韻覚めやらぬ3月11日、三陸海岸を開闢以来の大地震、大津波が襲った。海外も含め1600回に迫る出前公演を重ねている林さんは、三陸へも何度も足を運んでおり、親交が続いている土地である。県北は、普代村の森田眞奈子さんを始めとし野田村の大沢伸子さん、県南は大船渡市の船戸洋子さん、簡智恵子さん等々数えきれない。被災地へ連絡がとれぬまま、みなさんの無事を祈り続けた林さんは3月25日、新聞の被災地死亡者名簿の中に船戸洋子さんの名前を発見、号泣した。この深い悲しみの中で、林さんは、多くの被災者の方々に寄り添う公演に出かけて行こう!と決心。それは正に、賢治の魂、「雨ニモマケズ」の「行ッテ」であった。6月開催を目指す。公演候補地を大船渡市、大槌町、山田町、野田村と決め、5月に事前訪問、現地の世話をして下さる方と綿密な打ち合わせをすることにした。花巻を拠点に車で朝7時半出発、大槌町、山田町を回って夜8時半帰花というような強行日程が 3日間、900キロ超を奔走した。訪問先で無心で喜び合う林 さんと人々との絆の深さを目の当たりにする毎日に、私も語り尽くせぬ喜びをいただいた。

 18日(土)。大槌町・吉里吉里旧中学校避難所は、公演の支援者である地元の臼沢幸子さんご夫妻、そして当避難所の責任者の藤本俊明さんの行き届いた準備で開場を迎えた。

 広い体育館の隅々まで通る林さんの声がみなさんの心に沁み入っている様子が胸を打つ。

 19日(日)。山田高校体育館避難所での公演の様子は、「岩手日日」が次の様に報じている。 『林さんは一緒に元気になりたいと、館内に響きよく通る声で「雪渡り」を熱演。次いで会場のみなさんの「ふるさと」のハミングに乗せて「雨ニモマケズ」を唱えた。「私と一緒になんとか元気になって」と林さんの思いを伝える。

 20日(月)。大船渡市・カメリアホールでの公演は、「東海新報」が『被災地が元気にとの願いでの「雪渡り」では、林さんが打ち鳴らす木製楽器に合わせて「キックキックトントン」とみんなで合唱し笑顔が広がった。更に「雨ニモマケズ」の賢治の不屈の魂にふれた人たちは「感動しました」と喜び、宮沢家から贈られた銘菓「よだかの星」を味わいな がら楽しく交流していた』と報じている。

 22日(水)。野田村・海蔵院別館。名刹の凜とした雰囲気の会場は、百余人で埋まった。先ず林さんの「雪渡り」の熱気が伝わった。「雨ニモマケズ」に移り会場の空気は一変、3カ月余辛さを胸の奥に、我慢し続けて暮らしている日常から、この瞬間解き放たれ、嗚咽の波が広がった。

 そのあと私たちは「えぼし荘」に会場を移し復興に意気上がる野田村の小田祐士村長の音頭で、野田村や普代村のみなさんと打ち上げの岩手のワインや格別の海の幸に舌づつみをうち、賑やかに公演の成功を喜び合った。

 かくして、林洋子さんによる一週間に及ぶ『賢治さんと往く・イーハトーブまごころ公演』は、三陸縦断の魂交流の舞台となった。

 林さんの『行ッテ』にかける、使命感迸る行動力には改めて驚くばかりである。

(埼玉県さいたま市)


報告


宮沢賢治学会イーハトーブセンター春季・夏季合同セミナー

 長期企画、夏季特設セミナーでは二〇〇九年度より賢治短歌をとりあげており、三回目となる今回は、宮沢賢治の会(盛岡)の協力を得て盛岡での実施となりました。盛岡は青年時代の賢治にとって思い出深い場所で、多くの短歌を創作した重要な舞台でもあり、中には方言歌「ちゃんがちゃがうまこ」の連作もあります。セミナーの初日である六月十一日は 「チャグチャグ馬コ」 の祭りが開催され、実際に滝沢村(鬼越蒼前神社)から盛岡市(八幡宮)までを歩く「馬コ」を見ることができました。

 震災直後のセミナーということで、様々な不安の中での開催となりましたが二日間にわたり、講演とシンポジウム、合唱、それから盛岡市内の見学といった盛沢山の内容で無事に終了することができました。

 全国からたくさんのご参加、誠にありがとうございました。

期日:2011年6月11日(土)・12日(日)

一日目 六五名
二日目 七七名

【一日目】

1.「チャグチャグ馬コ」見学(自由見学)

2.「盛岡賢治ゆかりの地」の見学 15時〜17時

案内:宮沢賢治の会(盛岡)

※見学コース

岩手県公会堂、岩手公園、玉井家(賢治の井戸)、下の橋、杜陵小学校、岩手銀行等

【二日目】

会場:盛岡市観光交流センター(おでってホール)

講演

1.「チャグチャグ馬コ」の民俗史
  10時30分〜11時30分
  講師 藤倉孝作氏(チャグチャグ馬コ同好会滝沢支部理事)

2.方言歌をめぐって
  11時30分〜12時30分
  講師 大野眞男氏(岩手大学教育学部教授)

合唱
コーラスせきれい(第十六回イーハトーブ賞奨励賞)

シンポジウム
「ぴゃこ塾」 による 〈賢治短歌、この新しい発見〉
  13時30分〜15時

司会:佐藤通雅(宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事・歌人)
パネラー:石川美南(「pool」所属)
     内山晶太(「短歌人」所属)
     五島 諭(「pool」所属)
     花山周子(「塔」所属)
     盛田志保子 (「未来」所属)

「チャグチャグ馬コ」の民俗史
「チャグチャグ馬コ」の民俗史
方言歌をめぐって 盛岡ゆかりの地見学
方言歌をめぐって 盛岡ゆかりの地見学
シンポジウム コーラス
シンポジウム コーラス