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以下は「会報30号ヤナギラン」からの転載です。この後に入沢康夫さんの補足の文を併せて掲載しています。 「ヒドリ─ヒデリ問題」について 入沢康夫もう十三年前、一九九二年の初めに出た「宮沢賢治」誌十一号に、私は「賢治の『誤字』のことなど─『ヒドリ』論議の決着のために」という小文を発表して、「〔雨ニモマケズ〕」中に賢治が書いている「ヒドリ」は「ヒデリ」の書き誤りであり、その点では過去の諸刊本がこれを「ヒデリ」と校訂してきたのは正しい処置であったと述べた。実際、この問題に関しては、学問的には、当時すでにはっきりと答えが出ていたのであり、もはや論議の余地は無いと考えるに到っていた。 ところが、一般社会では、この問題をとりあげた大新聞の記事の力もあってか、いまだに「ヒドリ」が正しく「ヒデリ」に直すのはよろしくないと、思いこんでいる方々もかなりあるようだ。そしてそれが、場合によっては、大きな弊害さえ生みかねない(現に生んでしまってもいるらしい)ことを知って、心を傷めている。 そこで、編集委員会の依頼もあり、前記十三年前の拙文の要旨を、以下に抄出して、読者の皆様に今一度、問題の本質を確認周知していただきたいのである。 ※ その度合いの多い少ないはあるにしても、どんな物書きでも書き誤りはある。「弘法も筆のあやまり」という諺さえあるぐらいだ。筆の勢いでつい誤った字を書いてしまう、あるいは必要な字を抜かしてしまう、といったことに関しては、宮沢賢治にしても例外ではない。 平仮名で「ほんたう」と書くとき、賢治はときどき「ほうたう」と誤記している。これは、原稿を書いているとき、手より頭の方が先回りしすぎて、一字または二字先に書くべき字を書いてしまうという傾向──これが賢治にはきわめて顕著である──の結果であろう。たいがいは、書いたとたんに気がついて、抹消して、正しく書き直しているが、気づかず、そのままになってしまうものもある。 こうした「書き誤り」についての論議で、ここ十年間の、もっとも顕著な例は、あの「〔雨ニモマケズ〕」中の「ヒドリ」の二字にかかわる一さわぎであろう。手帖の一冊に記されたあのあまりにも人口に膾炙した章句(作品?自戒自省のメモ?祈り?)の中の、 ヒデリノトキハナミダヲナガシ の箇所で、賢治は実際には「ヒデリ」を「ヒドリ」と書いている。これを、これまでのすべての刊本では、「ヒデリ」の書き誤りと見て校訂し本文としている。そして、そのことはけっして秘し隠されていたことではなく、すでに手帖そのものの複製や、当該数ページのファクシミリ等も世に出ていたし、『校本宮澤賢治全集』でも、校訂した上で事実を明記していて、その意味では、世に公開されていたわけである。 ところが、「ヒドリ」は誤記ではなく、このままで「日傭いかせぎ(の賃金)」のことを言う方言なのだ、これまでの諸刊本の処置は誤っている、「ヒデリにケガチ(飢饉)なし」というくらいで、ヒデリは農民にとって不都合なことではない、ということを言い出した方があり、ある大新聞がそれにとびついて、全国版社会面のトップで大きく扱い、しかも原文が「ヒドリ」であることをこれまで不当に隠されていたかのごとき印象を与えるセンセーショナルな書き方をしてしまった。しかも、何人かの人々が、ろくに考えもせずに、この新説を支持する言辞をジャーナリズムの需めに応じて発表した。そのため、事ははなはだ面倒なことになって、記事の扱いの大きさなどから言って、世間一般では、「ヒドリ=日傭いかせぎ」説の方が正しいとまでは思い込まないにしても、論議は五分五分の形で、いまだにケリがついていないくらいに考えられているようだ。さらに副産物(?)として、「文学作品本文は、いっさい作者の原稿通りであるべきだ」といった趣旨の、俗耳には入りやすいが、実は暴論としかいいようのない発言もとび出す始末で、情けない限りであった。 しかしながら、この問題については、前記新説の成り立つ余地は限りなくゼロに近く、逆に従来の(「ヒドリ」を「ヒデリ」の誤りと判断して本文では校訂する)立場は、確かな根拠(内容から言っても、本文批判的立場から言っても)がいくつもある。「ヒドリ」が「日傭い(の賃金)」では、前後と文脈的につながらないこと。賢治が、いくつもの作品(「グスコーブドリの伝記」ほか)で、常に「夏の寒さ(冷夏)」と「ひでり(旱魃)」とを、農家が困ることとして扱っていること。それが最も端的に書かれているのは、「グスコーブドリの伝記」の下書稿に当たる「グスコンブドリの伝記」の第七章冒頭部であろう。そこには、次のような対話が出てくる。 「ブドリ君‥‥‥沼ばたけ(水田)ではどういふことがさしあたり一番必要なことなのか。」 また、賢治の詩稿の一つ「毘沙門天の宝庫」では、「旱魃」に自分でルビをつけようとして、まず「ひど」まで書いて、誤りに気付き、「ど」を消して、「でり」と改めて続けている現場が見られる。これなどは、賢治が「ひでり」を時として「ひどり」と書き誤る傾向があったことを示しているし、また、「グスコーブドリの伝記」の生前発表形(昭和七年に「児童文学」に掲載)でも一カ所、旱魃の意味の「ひでり」が「ひどり」となっているところがある。これなどは、印刷上の誤植というより、元原稿そのものの誤りがそのまま活字化されたものである可能性が高い。 こうした点については、すでに雑誌「賢治研究」五十三号(一九九〇年十一月)に平沢信一氏の明確な指摘があり、私もまた一九九〇年秋に池袋で行われた賢治フォーラムの席上で、資料のコピーを添えて説明し、その要旨は、やはり「賢治研究」五十四号(一九九一年二月)に載ったが、同誌は研究会の会誌として一般の目に触れにくいと思うので、ここに、今一度記した。 話は、冒頭にもどるが、どんな物書きでも書き誤りはする。諸々の証拠に照らして誤りと判断できるものを、正しく校訂して本文にすることは、作者の意図を尊重する上で必要不可欠のことである。そうした本文校訂の責任は、きわめて重く、かつ多くの困難をともなうものであることを、読者も、編纂者も、出版社も、ここいらで再確認していただきたいと、つくづく思う。 ※ 以上が、かつての拙文からの約三分の二の抄出である。 賢治は、上記引用中にもあるように、水田農業にとって、「夏の寒さ」と「旱魃(ひでり)」は、困ることの筆頭に考えていた。「穂孕期」に日照が不可欠であり、「ヒデリにケガチなし」と諺にあるとしても、それは「日照」のことで、苗代期・田植期の「旱魃」(往々水争いなども起こった)のことではない。「旱魃」の「恐ろしさ」に触れた箇所は、賢治の詩にも童話にも、あちこちに見られる。 文理的にも、本文批判的にも明らかに書き誤りと判定される箇所を、「あの賢治さんが書いたものだから変えてはならぬ」とばかり、間違いをそのまま生徒に暗誦記憶させたり、碑に刻んで後世に遺したりするのは、上に述べたような事情をわきまえずに、すでに成り立たないことが明らかになっている所説(「ヒドリ=日傭取りの賃銭」といった、書き手のその時の意識には浮かんでもいなかったことを主張する説)になおもすがりついた、一知半解の不適切な扱いであり、ひいては賢治の営為の本質に対する冒涜にもなることを、あらためてここで強調しておきたい。 是が非でも賢治が書いた通りに碑に刻むというなら、碑の裏の銘板に「『ヒドリ』は『ヒデリ』の作者の書き誤りであるがそのままにする」といった主旨の注記がなされることが建碑者の、後世に対する責任として不可欠だろう。児童・生徒に教える時もはっきり「ヒデリ」と教えるべきである。そして、どうしても言いたければ「じつは賢治はここをヒドリと書き誤っているのだよ。賢治だって書き間違いをするんだねぇ」と付言する程度にするべきだと思う。 (顧問 神奈川県川崎市) ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 以下は、入沢康夫さんによって、会報30号「ヤナギラン」所収の文「『ヒドリ──ヒ デリ問題』について」の補足として、2005年04月06日(水) から同月12日(火)にかけて このホームページの「掲示板」に断続して書込まれたものです。その後、全体を一貫 して読めるように、筆者自身の手でつながりや順序を正し、若干の字句を追加・補訂 してあります。 「ヒデリ」の文献的根拠 入沢康夫先ごろ「会報第30号ヤナギラン」に《「ヒデリ」──「ヒドリ」問題について》という一文を載せていただきましたが、その中で「ヒドリをヒデリに校訂する立場には、確かないくつもの証拠がある」と書きましたところ、そのいくつもの証拠をもっと示せというお声がかかりました。そこで、やや長文に及びますが、上記拙文では紙面の関係で挙げられなかったものを(気がついた限りで)童話と詩に分けて順不同に列挙してみます。(丹念に拾えばもっと増えると思います。) ●童話「双子の星」
●童話「〔或る農学生の日誌〕」
●上記作品の創作メモ 創26「黎明行進歌」。
●童話「〔グスコンブドリの伝記〕」
●童話「〔グスコーブドリの伝記〕」(「児童文学」発表形)
(以下、詩に関しては、確認の便宜を図って『新校本全集』の巻数頁数を付記します) ●詩「一八一 早池峰山巓」16、17行九旬にあまる旱天(ルビ「ひでり」)つゞきの焦燥や/夏蚕飼育の辛苦を了へて (第 三巻 本p.111 校p.272) ●詩「三五六 旅程幻想」初行さびしい不漁と旱害のあとを (第三巻 本p.164 校p.397) ●詩「二五八 渇水と座禅」6行?11行さうして今日も雨は降らず/みんなはあっちにもこっちにも/植ゑたばかりの田のく ろを/じっとうごかず座ってゐて/めいめい同じ公案を/これで二昼夜商量する…… (第 三巻 本p.221 校p.536) ●詩「三一七 善鬼呪禁」末尾より6行と同5行どうせみんなの穫れない歳を/逆に旱魃(ルビ「ひでり」)でみのった稲だ (第三巻 本p.141 校p.340) ●詩「一〇二二〔一昨年四月来たときは〕」最終行そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た (第四巻 本p.55 校p.110) ●詩「一〇七六 囈語」後半部せめてもせめても/この身熱に/今年の青い槍の葉よ活着(「活着」にルビ「つ」) け/この湿気から/雨ようまれて/ひでりのつちをうるほせ (第四巻本p.264 校p.327) ●詩「一〇七六 病中幻想」最終連せめてはかしこ黒と白/立ち並びたる積雲を/雨と崩して堕ちなんを (第七巻 本p.235 校p.613) ●詩「発動機船 一」9?12行……あの恐ろしいひでりのために/みのらなかつた高原は/いま一抹のけむりのやう に/この人たちのうしろにかゝる…… (第五巻 本p.10 校p.9) ●詩「毘沙門天の宝庫」下書稿初形22行以下旱魃(ルビ「ひ[ど→(削除)]でり」と手入れしてある)のときあいつが崩れて/いちめ んの雨になれば(中略) ●詩「毘沙門天の宝庫」本文22行以下もしあの雲が/「旱(ルビ「ひでり」)のときに、」/人の祈りでたちまち崩れ/いちめ んの烈しい雨にもならば/(中略)/大正十三年や十四年の/はげしい旱魃のまっ最中も/ いろいろの色や形で/雲はいくども盛りあがり/また何べんも崩れては/暗く野原にひろ がった/けれどもそこら下層の空気は/ひどく熱くて乾いてゐたので/透明な毘沙門天の 珠玉は/みんな空気に溶けてしまつた/ (第五巻 本p.50?52) ●詩「旱倹」本文第二連野を野のかぎり旱割れ田の、白き空穂のなかにして、/術をもしらに家長たち、むな しく風をみまもりぬ。 (第七巻 本p.80 校p.252) ●詩「〔歳は世紀に曾って見ぬ〕」 3-4行人は三年のひでりゆゑ/食むべき糧もなしといふ (第七巻 本p.181 校p.535) 《まとめ的追記》以上に列挙しましたように、「旱魃(ひでり)」、「旱魃(かんばつ)」、「旱(ひでり)」「ひでり」といった語は、賢治の書き遺したものの中では、きまって、「困ったもの」「つらいもの」「恐ろしいもの」「せめて、涙とか、自分の身熱から生ずる汗でもって、ほんの少しでも渇きをうるおしたいもの」といった負のニュアンスで出て来ます。 (これに反し、日雇い労働の辛苦のニュアンスをこめた「ひどり」という語は、あれほど農家や農作のことに言及している賢治の莫大な文中(作品・書簡・雑纂等、現在知られているすべてを含めて)には、ただの一箇所も見付かっていません。「葬式」「肥取り」などの意味でも、もちろんです。) 《付録》「ヒドリ」→「ヒデリ」の校訂に対する、論難と反駁(「ビジテリアン大祭」ふう)
以上 (なお、「ヒドリ」は「ヒトリ=一人」の誤記であるという意見につきましては、 |