2001年宮沢賢治学会地方セミナーinセンダード

 
宮沢賢治・未来へのまなざし
【日時】:2001年10月27日
【場所】:仙台文学館
【主催】:宮沢賢治学会イーハトーブセンター
【主管】:賢治・センダードの会
【後援】:宮城県教育委員会、仙台市教育委員会、河北新報社
【プログラム】:
10:00 受付開始
10:30 開会
午前の部(10:30〜12:00)
10:30 開会あいさつ 佐藤通雅
10:40 はなし「賢治と宮城」 佐藤 成
11:40 幻燈「風の又三郎」 佐々木隆二
12:00 昼食(陸羽132号のおむすび)
午後の部(12:50〜16:00)
12:50 講師紹介
12:55 講演「銀河体験」佐治春夫
14:05 「注文の多い料理店」序文の朗読
  • 日本語 扇元久栄
  • 中国語 陳 俊廷
  • 韓国語 趙 美花
  • 英語 Anita Asiedu
  • ドイツ語 Audrea Kukilimski
  • エスペラント語 三瓶圭子
14:35 休憩
14:45 講演「『満天の蒼い森』の賢治」菅原千恵子
16:00 閉会あいさつ 渡辺仁子

仙台の皆さん

ご挨拶

参加報告

 
報告 2001年地方セミナーinセンダード
渡辺 仁子

 3年前にできた仙台文学館は、街なかの森林公園にあります。21世紀の幕あけとなった 2001年10月27日、ここを会場に宮沢賢治学会の地方セミナーが開かれました。

 仙台は賢治にとって、ちょっと都会的で文化の香りを感じさせる街でした。幾度となく 足を運び、東北帝大付近の古本屋や丸善、レコード店などを歩いています。作品にはセン ダード市の名前もみられるほどです。

 宮沢賢治に関心を寄せる人は、仙台にも大勢います。学都ですから研究者も多いし、花 巻へは日帰りで行ける距離なので、大人も子供もそれぞれのやり方で賢治作品に親しんで います。地方セミナーを仙台で、ということでどういう風の吹き回しか、突然私にとりま とめの役が回ってきました。「みやぎ親子読書をすすめる会」と「宮沢賢治を読む会」の 方に声をかけ、実行委員会の形をとって、月一回の集まりで準備を重ねてきました。

 開会あいさつで佐藤通雅さんは、賢治が仙台に定住したいという意志を持っていたので は、と言及。代表理事の萩原昌好さんはゆかりの地センダードでの開催に期待をこめ、世 界中がイーハトーブであれ、と話されました。

 午前の部は会の代表を務める佐藤成さんの「賢治と宮城」と題したおはなしと写真家・ 佐々木隆二さんのスライド「風の又三郎」の上映。佐藤さんは盛岡高等農林に学び、岩手 の教壇に立ちながら賢治を研究。賢治記念館に勤務後、仙台に居を移してからは宮城との 関わりについて調べています。チラシや資料づくりに大活躍の佐々木さんは「賢治が歩い たみやぎ」の写真もロビーに展示し、好評でした。

 中地文さん司会による午後の部は、宮城大学教授で宇宙物理学者の佐治春夫さんの講演 でスタート。「銀河体験」と題し、ご自身が賢治をどのように理解したかという立場から のお話でした。ウィーンにいたとき「銀河鉄道の夜」をドイツ語に訳して講義していたと のこと。また仙台出身の小学校の担任から「風の又三郎」に学び、八十を過ぎたその先生 と再開した折「君は風の又三郎だね」と言われたというエピソードも含めて楽しくお話く ださいました。後半の菅原千恵さん(富山市在住)は宮城学院女子大学に学んでいた頃か ら賢治研究に取り組み、数年前に出した「宮沢賢治の青春」で保坂嘉内との友情と訣別を 描いて注目を集めた方です。今回は賢治の妹トシに焦点をあて、近代女性問題にもふれて のご講演でした。

 今回のセミナーのテーマを私たち賢治・センダードの会では「未来へのまなざし」と決 めていました。世界に賢治精神が広がってほしいという願いをこめて。そこで「注文の多 い料理店」の序文を外国の方々に訳していただきました。中国語、韓国語、英語、ドイツ 語、エスペラント語で、留学生の方々が一生懸命に翻訳し、真剣な眼差しで朗読する様子 に会場からは盛大な拍手が送られました。

夕方まで中味の濃い一日でしたが、もうひとつ特筆すべきは、陸羽一三二号のおにぎりが 昼食会に付いたということでしょう。仙台市沖野で農業を営む菅田重利さん提供の新米で 参加者220名は、その味をかみしめつつお昼をいただいたのです。秋晴れのセンダード の森に「雲からも風からも/透明なエネルギーが/そのこどもにそゝぎくだれ…」という 賢治さんの声が確かに聞こえた、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。


講演抄録

 
銀河体験

佐治晴夫

 皆さんにお伺いしたいのですけれども、「銀河鉄道の夜」の中に出てくる アルビレオ信号所のアルビレオを見たことのある人、こと座のリング星雲 をご覧になったことがある方はいらっしゃいますか。ぜひ実際に望遠鏡で 空を見ていただきたいですね。それなしには、賢治の理解は偏るかもしれない。

 宮沢賢治という人の気持ちは、私なりによくわかるような気がします。 タトエハ、賢治さんは青白いという表現をよく使いますが、あれは科学実験で、 ブンゼンバーナーに火をつけた人でないと絶対にわからないと思います。 どうぞ皆さん、火をつけてみてください。

 土って何だろうと考えた時に、それは岩石の砕けたものだと考え、 その土で茶碗をつくるから、茶碗は岩石からとられた原料でできているから、 地球の歴史を感じるという感性。これは科学者の感性です。詩人だけのものではない。 宮沢賢治という人は、周りのものとすべて関わっているというような捉え方を 持っていたようですが、極めて論理的に自然をつぶさに観察し、なぜだろう、 なぜだろうと問いかけていたのでしょう。それが詩人の感性だけですべて 処理されたとは考えにくい。

 皆さんのお手許に紙がありますね。紙は何からできているかと問うならば、 それはパルプでしょう。パルプは何ですか。パルプは樹木です。 樹木はどうして育つの?水がなければ育ちません。水はどこから来たの? 水は雨からでしょう。雨は誰が降らせたの?雲でしょう。雲は誰が作ったの? 太陽でしょう。これは科学ですよ。皆さんのお手許にある一枚の紙の中に、 雨の音や風の音や雲の陰りを感じることができない人は、科学者ではないということです。

 宮沢賢治はどういう気持ちで星を見ていたか、推測することができます。 それはどういうことかというと、一諸に星を見ますよね。たくさん星が見えますね。 街の中ではだめですが、じっと星を見ていると不思議な感情が沸き起こってきます。 百人中百人がそうなのですが、何だかたくさんある星の中に地球があるような気がしてくるのです。 ここがポイントです。つまり皆さんは地球にいながら宇宙体験をしているということなのです。 じっと見ていると、今の現実を忘れて、ひょっとしたらあのたくさんある星の中に 地球があるのかもしれないという気がしてくる。星を見ているとそういう気持ちが 自ずと起こってきます。宮沢賢治という人は天才といえば天才ですが、星を眺めている 時には普通の人間の感覚を持っていたはずなので、おそらくそういう感情が芽生えて いたのではないかと僕は思います。

 「農民芸術概論綱要」の中に「自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」 とあり、「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう」とあります。

 宇宙、宇宙とぽっても神がかった発想からいっているのではありません。 本気で人間を考えたら、誰でも宇宙とつながっているということを感じることができます。 そのために見なければならないのが星です。太陽の表面の黒点がどうなっているか、 太陽の大きさはいくらというようなことだけを教えるのが、天文学ではありません。 星を見ることによって、それを意識するというのが正しい方向だと思います。


佐治晴夫さんプロフィール
 1935年、東京生まれ。立教大学・東京大学デ基礎数学、理論物理学を学び、 東京大学物性研究所、松下技研佐治研究室室長、玉川大学学術基礎研究所教授 などを経て、1999年秋より県立宮城大学教授となる。理学博士。理論宇宙物理学者。 無からの宇宙創生の理論、「ゆらぎ理論」などで知られる。また、科学と芸術との 学際的新分野「数理芸術学」を提唱して、理系・文系の枠を越えた全人教育としての Liberal Arts 教育に力を注いでいる。音楽で始まる授業は宇宙や数学の話から、 金子みすゞ、宮沢賢治、まど・みちおまで広がるユニークなもの。賢治作品はわかろうとする ものではなく感じるものだと説き、「星の王子さま」のサン・テグジュベリとの 共通点も指摘する。「宮沢賢治キーワード図鑑」(平凡社)などに執筆。主な著書に 「宇宙の不思議」(PHP文庫)、「宇宙の風に聴く」(カタツムリ社)、「星への プレリュード」(黙出版)など。(財)日本宇宙少年団理事、(財)日本理科学検定協会会長 などを歴任。現在、読売新聞日曜版に「夢見る科学」を好評執筆中。仙台市泉区在住。
「満天の蒼い森」の賢治

菅原千恵子

 私が今日こでお話しようと思っておりますのは、賢治の妹トシのことです。 トシは重要なキイ・パーソンだと言われているにもかかわらず、 一体どういう人なのか全然わからずにきていますが、実は非常に強靱な 意志を持った女性だったということです。

 八重岳書房というところから刊行されている「伯父は賢治」に収録されています けれども、宮沢賢治の一番下の妹クニさんが亡くなったときに、文箱から 自省録というのが出てきました。この自省録とはいったい何だろうかということで、 クニさんの息子の宮沢淳郎さが、これはいったい誰の筆跡なのかと清六さんに 聞いたところ、これはトシの筆跡だ、トシが書いたものだということがわかりました。

 この自省録について、淳郎さんは非常に謙虚に、「伝記類を見る限り、 賢治を上回るほどの能力をもっていたとうけとられかねない神秘の女性トシは、 実はふつうの女子大生なみの文を書く人間だったと分かって、あるいは失望する 読者がいるかも知れない」とおっしゃっているのですけれども、私は失望どころか トシという女性に強く心を動かされました。それまでお人形のようだったトシが、 実はとても激しく強靱な意志と近代的な自我をもった女性であることに、 むしろ驚かされたのですね。自省録は,核心を慎重に避けているために 回りくどい文章で一見冗漫に見えますが、翻訳調の文章はむしろ男性的で、 厳しい自省の姿は哲学的な感じさえします。

 自省録をしたためながら彼女に見えてきたものについては、「彼女の個性を侮辱して、 好んで迎合的にふるまった自己の痴しさ」と、「乞食の様なさもしい享楽の誘惑に うかうかと誘はれて、誇張した感情を誇張した言葉と行為とに表現して自他を欺いた」 と言っています。そういうことこそが「彼女自身に不忠実であった」というふうに 自分で決めています。自分が求めたものは自分の欲望の幸福であって、それは家族や 他の人々の幸福と両立しないものだった、せめるべきは他人ではなく自分だ、 とトシは知ったのですね。トシは自分は「病めるものであった」ということを強く自覚 したときに入院して、それを看病に来ていた兄に法華経を紹介された、というふうに 私は思っています。

 トシの自省録は多くのことを私たちに語ってくれました。何よりも大きいのは、 トシの抱えていた問題が、そのまま近代日本の女性の問題だということです。 トシはこの時代にあって実存を問い続けていた新しい女性のひとりであったと私は 思っています。トシの幅広い読書生活、深い教養があったればこそ、トシ自信の自我が 豊に成長していったのではないかと思えてなりません。


菅原千恵子さんプロフィール
 1949年、宮城県生まれ。宮一女高から宮城学園女子大学日本文学科に進む。 1971年、卒業と同時に同大学副手として勤務。1972年「文学」(岩波書店)に 「『銀河鉄道の夜』新見」を発表。その後結婚により金沢を経て富山に在住。 主婦としての生活の傍ら、宮沢賢治の研究、および児童文学の研究を独自に展開。 子育て期は家庭でおはなし文庫「チャンバの花」を15年間開設。また近隣の子供たちと 「なんでも探検クラブ」をやっていた。1994年それまでの研究成果を踏まえ 「宮沢賢治の青春」(宝島社刊、のち角川文庫化)を発表。「銀河鉄道の夜」は保坂嘉内との 友愛、訣別を投影させたという画期的な説を発表、賢治研究に衝撃をもたらす。 1997年発刊の「満天の蒼い森─若き日の宮沢賢治」(角川書店)は、本格的な創作活動を 開始する以前の賢治に焦点をしぼって資料と想像力で若き日の宮沢賢治を再生させたもの。 他に「よくわかる宮沢賢治1・2」(共著、学研刊)。日本児童文学者協会会員。 北陸児童文学協会「つのぶえ」同人。宮沢賢治学会会員。現在北陸学院女子短期大学非常勤講師 として児童文学を担当。富山市在住。

会場風景