宮沢賢治学会冬季セミナー

 
賢治・心平・光太郎
【主催】:宮沢賢治学会イーハトーブセンター
    :宮沢賢治イーハトーブ館
【日時】:2001年12月1日〜2日
【場所】:12月1日:花巻市民の家・2日:イーハトーブ館
【内容】:
1日
12:30 受付開始
13:30 萩原代表理事挨拶
13:35 講師紹介
14:00 講演「時の流れに 高村光太郎、宮沢賢治、花巻共立病院」佐藤 進氏
15:30 講演「宮沢賢治と草野心平」北条常久氏
17:00 講演会終了
17:30 交流会・懇親会
18:30 閉会
26日
10:00 シンポジウム「初期賢治研究の再検討」
栗原 敦(司会)、大沢正善、佐伯研二、平澤信一、米村みゆき
12:30 シンポジウム終了

会場全景

会場玄関

参加報告

 
セミナーに参加して

 今回の目玉はなんといっても、会場の「花巻市民の家」です。こ れはかつての花巻町役場だったたてものを移築したもので、今でも 現役で公民館のように使われています。

 二階建てで、一階が役場、二階が議場だったということです。そ れほど大きくないですが、木造としてはかなり広いスペースを柱な しにとっています。全て青森ヒバを使った、といいますから、なか なか良い建築です。

 ここで1933年、賢治の死後まもない時に、賢治の追悼会が開かれた、 という記念すべき場所 でもあります。その話はいずれ、「宮沢賢治の生涯」の最終回あた りですることになるのですが、東京から草野心平などが来て、結構 盛大に開かれています。

 その頃はこの建物はまだ新築だったといいます。70年を経ても まだまだ使えそうな建物でした。こういうものを残している、とい うあたり、花巻市もなかなかやるものです。

 そういうこともあって、今回のセミナーでは、草野心平や高村光 太郎などに焦点をあてて、賢治が生前無名だった、という伝説を再 検討するものになっていました。

 初日は市民の家一階で、二つの講演。プロジェクターや録音テープの 再生などをまじえた、興味深いものでした。

 懇親会はかつて「追悼会」が開かれた二階で行われました。人数 はちょっと寂しかったのですが、お酒も出て、大いに盛り上がりま した。

 次の日はイーハトーブ館にて、初期の賢治の受容史についてのシ ンポジウム。天候にも恵まれ、思ったほど寒くなかったこともあり、 楽しい二日間でした。


講演紹介

 
「時の流れに 高村光太郎、宮沢賢治、花巻共立病院」
佐藤 進氏

 佐藤進さんは総合花巻病院の理事長、賢治の作品「花壇工作」の「花巻病院」 (当時は花巻共立病院)の院長佐藤隆房氏のご子息です。

 少年時代に高村光太郎が花巻に疎開していたころ、父を通じて光太郎とも親交 があった、ということで光太郎自筆の原稿などもいろいろとスライドで紹介して くれました。

 それから非常に珍しい、「賢治詩碑除幕式」の映像もビデオで紹介されました。 この映像は隆房氏がフィルムに撮っていたのをNHKの技術でデジタル化したものです。 草野心平や森荘已池なんかも少しですが映っていました。

 最後は病院に賢治のファンタジー花壇を再現したときの映像、また晩年の宮沢清六さんの 姿なんかも、佐藤氏自身の作成ビデオで見せていただきました。

◆講演者の紹介◆

 上にも書きましたが、「総合花巻病院」の理事長です。 いかにもお医者さんらしい、紳士でした。
 賢治とは直接話はしていないようですが、光太郎とは若い友人、 という扱いで親交があったらしいです。

 
「宮沢賢治と草野心平」北条常久氏

 賢治が世に知られるようになった経過には、草野心平という詩人の役割が欠かせません。

 いわき市が心平の地元ですが、地元での心平の評判は、賢治と違って最悪だとか…。

 こういう話からはじまって、広東在住だった心平のもとに、賢治の「春と修羅」が 友人から届けられた経緯を推理していきます。

 孤立しがちな詩人だった賢治とは違う、友情の輪を広げていける、心平の個性は 放蕩な人生と同じように、持って生まれたものなのでしょうか。

◆講演者の紹介◆

 精霊女子短期大学教授。いわき市の出身で地元の某有名校から東大に進んだ ということで、懇親会では、この地元の教育熱の話をうかがいました。
 宮沢賢治学会の先生たちとはまた一味違った磊落な感じの方です。

シンポジウム紹介

 
シンポジウム「初期賢治研究の再検討」
栗原 敦(司会)、大沢正善、佐伯研二、平澤信一、米村みゆき

 宮沢賢治のような、生前無名?だった作家の全集が、死後きわめ て早い時期に、出版されたのは、大いに驚きなんです。その出版に、 草野心平が尽力したことは版元である文圃堂の社長の証言もあり、 よく知られています。

 今回の話では、それ以外に、東京での岩手県出身者の集まりや、 詩人の集まりの人々の動き、それに賢治の周辺にいた藤原嘉藤治や 母木光が、賢治の死後すぐに上京していること、など多くの人の力 があった、ということがあげられていました。

 また、岩手でも、森荘已池が勤めていた岩手日報を中心に、賢治 の作品を広める動きが盛んだったそうです。学芸欄に賢治を顕彰す る文を沢山載せて、その直後に全集の予約申込みの案内をする、と いう露骨なタイアップ路線だったとか。

◆講演者の紹介◆

  • 大沢正善さん 奥羽大学教授
  • 佐伯研二さん 「佐伯文庫」代表
  • 平澤信一さん 本学会ビブリオグラフィー会員
  • 米村みゆきさん 日本学術振興会 特別研究員
  • (司会)栗原 敦さん 実践女子大教授

会場風景