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宮沢賢治学会・第12回定期大会 |
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定期大会に参加して 【22日】朝から「宮沢賢治賞」「イーハトーブ賞」の贈呈式。今年は天沢 退二郎さんが宮沢賢治賞を受賞しました。詩人で、校本全集の編集者でも ある方です。 奨励賞にはアラスカから来た、カレン・コリガン=テイラーさん。 賢治作品の翻訳などをされている研究者です。 イーハトーブ賞は漫画家のますむらひろしさんと、賢治祭の合唱 でおなじみの菊地裕さん。菊地さんは80歳くらいと思いますが、と ても声の大きな、元気な人です。 午後から定期総会とリレー講演、イーハトーブサロンと順調に進みました。 リレー講演には天沢さんの奥さんも出演されました。 その後、交流会があって、たくさんの出席者で大いに盛りあがりました。
【23日】朝からイーハトーブ館へ。研究発表会はいつものとおり4名の人 が発表されました。賢治の弟子であった沢里さんという人のビデオ を見せてもらいました。賢治が自作の詩を「歌う」のを聞いたとい うことで、自分で「岩手軽便鉄道の一月」を朗読している様子がう つっていました。 午後は劇「なめとこ山の熊」を見せてもらいました。イーハトー ブ子供劇団ということで、子供たちが熊の衣裳を着て、とても可愛 かったです。
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「宮沢賢治賞」天沢退二郎氏
永年に渉り、賢治作品の厳密な本文校訂を行い、賢治研究者のみならず
一般の賢治愛好者にとっても、多大な貢献を与えたこと。多数の著書の随所に
見られる、深く鋭い洞察力により、研究者の視野を広げ、その層を幅広い
ものにした功績は極めて顕著である。本賞を受けるに十分な功績である。
受賞にあたって 天沢退二郎
◆受賞者の紹介◆ 1936年7月21日、東京生。3歳のときに父母に随いて「満州」に 渡る。小2年生時、「銀河鉄道の夜」(新潮社)「風の又三郎」「グスコープドリ の伝記」(羽田書店)の3冊を読む。小学4年時に引揚げ、 小5の時「注文の多い料理店」、中1の時「宮沢賢治詩集」(岩波文庫)を読み、 詩を書き出す。中3の時、十字屋版全集第5巻を読み、童話を書き出す。 大学ではフランス文学を専攻、1964〜66年のパリ大学留学時に同人誌「凶区」に 「宮沢賢治の彼方へ」の大半を書く。67年、明治学院大学専任教員となり、 現在に至る。この間、「校本宮沢賢治全集」「新校本宮沢賢治全集」等の 編集委員、詩集「道道」他、童話「光車よ、まわれ!」他、賢治論集 「<宮沢賢治>注」他を刊行、フランス文学関係の訳書若干。 明治学院大学文学部フランス文学科教授
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「イーハトーブ賞」ますむらひろし氏
賢治作品を単にマンガ化するだけでなく、作品に最も忠実な考証を重ねる
壮麗なイマジネーションの世界として、賢治作品を世に知らしめた功績は大きい。
また、エッセイ「イーハトーブ乱入記」にみられるような独創的な発想は、
氏以外に見られないものである。本賞は氏のこうした多面的な活躍に対して
贈られるものである。
山猫が笑ってる 電話というのは、締め切りの催促と、訳の判らない物売りのものが多くて、 鳴らないにこしたことはない。数年前に「アタゴオルが漫画大賞になりました」 と漫画家協会の方から電話があった時もイタズラ電話だと思ってツッケンドンに 対応して、先方を怒らせてしまったが、今回の電話も最初は何事かと思い、 「何かの抗議ではないか」などと疑ってみたりもした。罰ならば、子供の頃 からずいぶんもらったが、賞などというものとは縁遠く、まして漫画を描く 行為で、賞が来るとは思わなかった。ただひたすら、締め切りと賢治の文章の 魅力の前で、矢折れのたうち回り、楽しみ苦しんだ日々なのだ。こうした結果に、 遠くの方から拍手が起こるのは、素直に嬉しい。僕の脳内に巣食っている フットボール狂の意識は「俺…カンポオーン」と脳天気に叫びだそうとするのだが、 されど賢治はそんなに甘いものではない。青空のどこかで、一郎くんの前に 立った山猫のように、謎めいた「フフン」という笑いをしている気がして ならないのだ。あの「フフン」があるから、賢治はいつまでたっても、 恐ろしいのだ。 ◆受賞者の紹介◆ 1952年、山形県米沢市生まれ。
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「イーハトーブ賞」菊地 裕氏
教育者として児童生徒を育成する一方で、早い時期から賢治作品の劇化、
歌曲指導等をイーハトーブの地で半世紀以上に渉って続けて来られた功績は、
他の追随を許さないものである。また、賢治祭での、「桜町ママさんコーラス」
でおなじみの飾り気のない活動ぶりも、十分本賞に値する功績である。
受賞のよろこび
◆受賞者の紹介◆ 1921年12月5日生。
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