宮沢賢治学会・第12回定期大会

  9月22日(土)
  10:00〜12:00 宮沢賢治賞、イーハトーブ賞贈呈式
  13:00〜13:45 定期総会
  14:00〜15:00 賢治研究リレー講演
    (1)黒沢 勉(岩手県)「『雨ニモ負ケズ』考」
    (2)マリ 林(千葉県)「賢治とラ・フォンテーヌ」
    (3)木村東吉(島根県)「「カーバイト倉庫の」…」
    (4)カレン・コリガン=テイラー(アメリカ)「未定」
    (5)宮 静枝(岩手県)「春の修羅について」
  15:15〜16:15 イーハトーブサロン「私と賢治」
  16:30〜18:00 参加者交流・懇親会
9月23日(日)
  10:00〜12:00 研究発表
    (1)藤森敏夫「『農民芸術概論綱要』に登場する童話の…」
    (2)藤尾昌裕「『銀河鉄道の夜』登場植物の生育時間…」
    (3)杉浦嘉夫「『銀河鉄道の夜』に潜む『南中現象』…」
    (4)板谷栄城「鏡鏡鏡鏡の正しい読み方」
  13:30〜15:00 ポランの広場
     イーハトーブ子ども劇団「なめとこ山の熊」


句碑除幕式

イーハトーブ館
21日、宮沢賢治記念館とイーハトーブ館の間の斜面にある「南斜花壇」に、 賢治の句碑ができ、除幕式がありました。幕を引っぱっているのは、 先般亡くなられた宮沢清六さんの曾孫さんです。

参加報告

 
定期大会に参加して

【22日】

 朝から「宮沢賢治賞」「イーハトーブ賞」の贈呈式。今年は天沢 退二郎さんが宮沢賢治賞を受賞しました。詩人で、校本全集の編集者でも ある方です。

 奨励賞にはアラスカから来た、カレン・コリガン=テイラーさん。 賢治作品の翻訳などをされている研究者です。

 イーハトーブ賞は漫画家のますむらひろしさんと、賢治祭の合唱 でおなじみの菊地裕さん。菊地さんは80歳くらいと思いますが、と ても声の大きな、元気な人です。

 午後から定期総会とリレー講演、イーハトーブサロンと順調に進みました。 リレー講演には天沢さんの奥さんも出演されました。

 その後、交流会があって、たくさんの出席者で大いに盛りあがりました。


受賞者の皆さん

乾杯

【23日】

 朝からイーハトーブ館へ。研究発表会はいつものとおり4名の人 が発表されました。賢治の弟子であった沢里さんという人のビデオ を見せてもらいました。賢治が自作の詩を「歌う」のを聞いたとい うことで、自分で「岩手軽便鉄道の一月」を朗読している様子がう つっていました。

 午後は劇「なめとこ山の熊」を見せてもらいました。イーハトー ブ子供劇団ということで、子供たちが熊の衣裳を着て、とても可愛 かったです。


劇「なめとこ山の熊」

劇「なめとこ山の熊」

受賞者紹介

 
「宮沢賢治賞」天沢退二郎氏
 永年に渉り、賢治作品の厳密な本文校訂を行い、賢治研究者のみならず 一般の賢治愛好者にとっても、多大な貢献を与えたこと。多数の著書の随所に 見られる、深く鋭い洞察力により、研究者の視野を広げ、その層を幅広い ものにした功績は極めて顕著である。本賞を受けるに十分な功績である。

受賞にあたって

天沢退二郎

 賢治の没後、清六さんが長年にわたって、錯綜する膨大な原稿を整理し、 読み解き、校訂・本文化して、賢治テクストを世界へ発信してこられた功績は、 計り知れない。私たちの「校本全集」以後の本文校訂の仕事は、清六さんの 大いなる成果に、僅かな寄与を付け加えたにすぎない。

(進行中の「新校本全集」にいたるまで編集委員の名簿の筆頭に清六さんの 名があるのは当然のことだ)

 その清六さんが亡くなられた。御臨終の前後から告別式にかけての、 動転の日々と地続きの時点で「宮沢賢治賞」受賞を打診されたときの、 躊躇は別として、感慨は打ち消し難い。

 もし私がこの賞を受けることがあるとすればそれは、詩や童話の創作に 新境地をひらきえたときであろう、などと思っていたのは、それこそ <慢>のなせる錯誤であった。あらためて無私・無心に、余生を、詩・童話 他の実作と、賢治テクスト他の考究に投入する覚悟であります。

◆受賞者の紹介◆

 1936年7月21日、東京生。3歳のときに父母に随いて「満州」に 渡る。小2年生時、「銀河鉄道の夜」(新潮社)「風の又三郎」「グスコープドリ の伝記」(羽田書店)の3冊を読む。小学4年時に引揚げ、 小5の時「注文の多い料理店」、中1の時「宮沢賢治詩集」(岩波文庫)を読み、 詩を書き出す。中3の時、十字屋版全集第5巻を読み、童話を書き出す。 大学ではフランス文学を専攻、1964〜66年のパリ大学留学時に同人誌「凶区」に 「宮沢賢治の彼方へ」の大半を書く。67年、明治学院大学専任教員となり、 現在に至る。この間、「校本宮沢賢治全集」「新校本宮沢賢治全集」等の 編集委員、詩集「道道」他、童話「光車よ、まわれ!」他、賢治論集 「<宮沢賢治>注」他を刊行、フランス文学関係の訳書若干。  明治学院大学文学部フランス文学科教授

 
「イーハトーブ賞」ますむらひろし氏
 賢治作品を単にマンガ化するだけでなく、作品に最も忠実な考証を重ねる 壮麗なイマジネーションの世界として、賢治作品を世に知らしめた功績は大きい。 また、エッセイ「イーハトーブ乱入記」にみられるような独創的な発想は、 氏以外に見られないものである。本賞は氏のこうした多面的な活躍に対して 贈られるものである。

山猫が笑ってる

 電話というのは、締め切りの催促と、訳の判らない物売りのものが多くて、 鳴らないにこしたことはない。数年前に「アタゴオルが漫画大賞になりました」 と漫画家協会の方から電話があった時もイタズラ電話だと思ってツッケンドンに 対応して、先方を怒らせてしまったが、今回の電話も最初は何事かと思い、 「何かの抗議ではないか」などと疑ってみたりもした。罰ならば、子供の頃 からずいぶんもらったが、賞などというものとは縁遠く、まして漫画を描く 行為で、賞が来るとは思わなかった。ただひたすら、締め切りと賢治の文章の 魅力の前で、矢折れのたうち回り、楽しみ苦しんだ日々なのだ。こうした結果に、 遠くの方から拍手が起こるのは、素直に嬉しい。僕の脳内に巣食っている フットボール狂の意識は「俺…カンポオーン」と脳天気に叫びだそうとするのだが、 されど賢治はそんなに甘いものではない。青空のどこかで、一郎くんの前に 立った山猫のように、謎めいた「フフン」という笑いをしている気がして ならないのだ。あの「フフン」があるから、賢治はいつまでたっても、 恐ろしいのだ。

◆受賞者の紹介◆

1952年、山形県米沢市生まれ。
1970年、山形県立米沢興譲館高校卒業。宮沢賢治の童話にはまり、 初の作品「霧にむせぶ夜」を投稿し週間少年ジャンプ「手塚治虫賞」に準入選。
1983年、宮沢賢治の童話を、猫によるマンガ化。「風の又三郎」 「グスコープドリの伝記」「銀河鉄道の夜」
1985年、猫による「銀河鉄道の夜」劇場用アニメーション映画制作。
「銀河鉄道の夜・初期形」「雪渡り・十力の金剛石」「どんぐりと山猫・猫の事務所」 を漫画化。
1997年、「アタゴオル玉手箱」で日本漫画家大賞。
1998年、筑摩書房よりエッセイ「イーハトーブ乱入記」刊行。

 
「イーハトーブ賞」菊地 裕氏
教育者として児童生徒を育成する一方で、早い時期から賢治作品の劇化、 歌曲指導等をイーハトーブの地で半世紀以上に渉って続けて来られた功績は、 他の追随を許さないものである。また、賢治祭での、「桜町ママさんコーラス」 でおなじみの飾り気のない活動ぶりも、十分本賞に値する功績である。

受賞のよろこび

 この度「イーハトーブ賞」という、私にとって破格の賞を戴くことになり、 大きな喜びと同時に、私などがという戸惑いと気恥ずかしさを覚えております。

 最近、「生かされている」「場を与えて戴いている」という言葉を強く 感じるようになりました。賢治さんの生まれたまちに生を亨け、羅須地人協会の ある南城小学校で学び、最初の赴任校が母校と、いろいろな機会に賢治さんを 身近に感じて来ました。その後、詩碑の建てられている桜町4丁目に移り、 地元の婦人会と出合い賢治祭に出演するようになりました。更にまた 「賢治の作品を歌う会」にも係わる場を与えて頂き、賢治さんと触れ合う ご縁がふえ、それが今度の賞につながったことと思い、本当に有難いことと 感謝の気持ちでいっぱいです。心からお礼申し上げて、ごあいさつと致します。

◆受賞者の紹介◆

1921年12月5日生。
1942年、岩手師範学校本科一部卒業。57年まで花巻私立南城小学校教諭。 以後花巻小学校、島小学校、大田小学校を歴任。
1946年、南城小学校教諭時、6年児童が初めて賢治祭に出演。以後数回 賢治作品を上演。
1960年、地元桜4丁目婦人会で賢治の歌曲の指導を始める。
1966年、依頼を受けて賢治祭に出演。以後今日まで続く。
1968年、石鳥谷町立八日市小学校、大迫小学校、湯口中学校、花巻小学校 校長を歴任。
1982年、退職。
1983年、「賢治の歌を歌う会」を結成、会長として指導、発表を続ける。 後年、「賢治ファンタジー」と改称し、発表を続ける。